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2004年3月21日 (日)

かなやのせきぶつ:金屋の石仏

金屋の石仏(奈良県桜井市大字金屋) マピオンBB地図

金屋の石仏:釈迦如来
 八月の暑い盛りに山辺の道を歩いていた。海石榴市(つばいち)の近くだったことを覚えている。これは万葉時代の歌垣の地で知られている。付近は金屋といって、御堂があった。石に仏を浮かびあがらせるという気持は分かりやすかった。彫り刻むというよりも、何かが湧きだしてくると言う、少しのニュアンスの違いがある。最近のサイトを見ると、重要文化財らしい。
 保田與重郎『日本の文学史』から引用しておく。

「弘仁時代と通称される時代の石仏の中の第一等の作は、金屋の弥勒さんとよばれる、桜井市金屋、三輪山の南麓にある二体陽刻の板石仏である。五十年程以前に、この石仏は地方の俗信をあつめ、参拝者で雑沓したことがあつた。維新当時にもさういふ例があつたと、古老は云った。」(奈良から平安へ・都遷り)

 

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