ごしきづかこふん:五色塚古墳
五色塚古墳(兵庫県神戸市垂水区) マピオンBB地図
前方部から円頂部への階段
小壺古墳からみた円墳部
右手に明石海峡大橋が霞んで見える。前方には淡路島。
一月ほど前に、神戸に所用があって、そのついでに明石まで足をのばした。目当ては五色塚古墳だった。ここはすでに20年以上も以前から知っていて、来てみたいところだった。
自動車で2時間もかからないと言うのに、その日が初めてだった。出不精もここまでくると病質と言ってもよかろう。須磨水族館のすぐ先だというのに。
さて、この古墳のことをよく知っていたわけではなく、五色という名前にときめいていた。実際の被葬者とか時代はまだまだ不明らしい。
現地では何も考えず、「大きいな。前方後円墳を直に、まともに歩くのか」などと一人で悦に入っていた。
だれがどうしたとか、どんな由来だとか、歴史的にはなにも解らなかったが、円頂部からみた明石海峡というのか、明石大橋や淡路島は、たしかに当日霞んではいたが、感動が大きかった。古代、このあたりは瀬戸内海の制海権を持つだけの豪族が居たのだろう。戦争から物流、そして海産物まで含めて、枢要の地であったに違いない。
参考サイトはいくつかあったが、二つあげておく。
神戸市立博物館には五色塚古墳模型がある
竹中工務店の「遺跡ミュージアム」構想:五色塚には過去多少縁があったようだ。それよりもおもしろい構想ですね。
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コメント
五色塚古墳にしても、大山古墳にしても吉備の古墳にしても全てが
海ノハイウエイに聳えています。私が東北は塩釜神社を訪ねた時も
堅牢なる山の上でした。遥か沿岸を航海する船の灯台ではないかと
誰かニ聴いた覚えがあります。これは遥か縄文時代から航海民である人びと(海人族)の人びとにとり灯台ハ大事だったんですね。
日本海側には青森の遺跡を含め、掘立柱を高く建設する技術が出雲
も含めありました。これは灯台の目的ではないかと私も考えます。
海岸に聳える古墳の上にはライトアップ宜しく赤赤と火が燃えていたんではないかと思います。今でも漁師さんは自分の位置を判断するのを、沿岸の山を目印にします。これは”ヤマオ ミル”と言うと聴いたことがりますね。朝鮮半島、中国との貿易を支配した人々が
日本の権力を握れたのではないでしょうか。
投稿: jo | 2004年3月16日 (火) 19時03分
JOさん、いろいろかんがえさせられました。塩竃神社も地図で確認しました。松島の南でしょうね?(あのあたり、まったく不明なんです)。朝、木幡で考えたことを投稿しておきました。
http://asajihara.air-nifty.com/mu/2004/03/20040317.html">http://asajihara.air-nifty.com/mu/2004/03/20040317.html
投稿: Mu | 2004年3月17日 (水) 08時15分
jhcdりうkthfwKLshんj;ljhfdkrhgjk
投稿: | 2004年4月16日 (金) 14時53分
わかりません。コード変換表をください。
投稿: Mu | 2004年4月16日 (金) 16時45分