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2004年3月15日 (月)

いましろづかこふん:今城塚古墳:継体天皇陵

今城塚古墳:継体天皇陵(大阪府高槻市郡家新町) マピオンBB地図

 旧知のJO氏の生家が大阪府の牧野近辺と知らされて意外だった(個人的な記憶間違いからの意外さ)。その話の中で隣が京阪の樟葉、「継体天皇が即位したところですね」とあった。
 継体天皇といえば、ここ何年か高槻市の古墳から大きな埴輪が見付かり、この今城塚古墳こそ真の継体天皇陵であると、新聞に載っていた。高槻市に卒業生も住んでいたので一昨年詳細を聞いたところ、以前から茨木市の「継体天皇陵」と高槻市の「今城塚古墳」とは、お互いに真贋論争じみたものがあったようだ。私はさっそく車で行こうとしたが、171号線がすさまじい停滞で、京都からだと何度行っても右折できずに、そうして方角がわからなくなり、結局挫折したままに終わっている。
 ところで、地図で見てみると、阪急高槻市と京阪牧野とは、川をはさんで直線で4kmしか離れていないことに気が付いた。以前から、阪急と京阪とは全く別の路線と思いこんでいたから、火星行きと金星行きくらいの違いに思っていた。ところがなんのことはない、お互いに対岸を走っていたのだ。そんなことは京都に50数年住んでいるから分かってはいた。しかしそれは知識だった。本気で、樟葉とか牧野が、高槻の眼前にあるとは身体的に分かってはいなかったのだ。
 継体天皇が樟葉で即位し、たしか20年以上止まり、飛鳥、大和に入れずここに宮居していた。そうして亡くなられた後、元宮に近い高槻に埋葬された。これで、話のつじつまが合ったわけである。刑事ではないが、土地鑑がないと、靴をすり切らさないと、本当のことはリアルに味わえないのかも知れない(と、いいつつ、また171号線で右折できなくなる。なんとなく、カフカ世界に似てきた。三輪山物狂いの私を、押しとどめるなにかが、あるのかも知れない)

参考:森本行洋氏サイトには、今城塚古墳、および宮内庁による継体天皇陵・太田茶臼山古墳(茨木市)に関する多数の写真を含めた詳細な記事がある。
今城塚古墳
太田茶臼山古墳(継体天皇陵)

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地図の蠱惑:未踏地」カテゴリの記事

コメント

罰当たりなことに、プラチナX氏と二人で今城塚古墳の中をマウンテンバイクで走り回ったことがあります。一番高い部分まで走っていけます。今はその程度の管理しかされていません。

投稿: フレームN | 2004年3月16日 (火) 00時42分

隣村が樟葉でしたので継体天皇さまには、大層興味ガありました。
多分に近江国を拠点に琵琶湖のハイウエイを押さえ、越の国及び
尾張を勢力圏とする人だったんでしょうね。中核は息長氏でしょうね。息長氏は応神天皇の末裔と言われていますから。大伴氏と物部
氏が招聘したと書紀には記述ガあるそうですが、何故に樟葉から
大和に20年間も入れなかったか?疑問です。継体・大伴政権と
欽明・蘇我政権の両立、抗争の説は興味の引かれる話でした。
高槻と枚方の位置関係は目と鼻の先どす。昔の淀川はどないな按配
であっつたか判りませんが、多分に伏見まで海だった筈です。
内海というんですか?だから、牧野駅のそばに渚の地名があります。 何か、Localな話になりましたね。

投稿: jo | 2004年3月16日 (火) 01時09分

フレーメンさま、プラチナさま
 マウンテンバイクというのはタイヤの太い自転車ですね? 現地未踏の弱さというか、自転車でそんな高所へ登れるのですか? 普通墳丘というのは相当に高いところですね。たとえば以前明石大橋を遠望する絶景の五色塚古墳に上りましたが、あれを想像すると、自転車で真説継体天皇陵円頂部にあがるなんて、いささか想像がしにくいです。
 はあ、でもよいものですね。お墓で戯れるというのは昔から普通の遊びではなかったでしょうか。人間はお墓が好きだから造るのでしょうね。好きだからそこで遊ぶのでしょう。
 私の夢は、前方後円墳をわが墓とすることでした。その折りは、どうぞ遊びに来てください。

投稿: Mu | 2004年3月16日 (火) 05時26分

JOさま、ふたつ頭をぐるぐる走っています。
1.伏見「鳥せい」まで海だったのですか? 内海&継体&樟葉&地図、程度でネット検索をしましたが、往時の想像地図を発見出来ませんでした。黒岩重吾氏の『ワカタケル大王』を読んでいたとき、あのあたりの情景が綺麗にイメージされていたような記憶があるのですが。すると高槻、三島あたりの古墳は全部海を見下ろしていたのでしょうか。すごい光景ですね。(三輪山がそうだったのは、ちゃんと想像図を持っているのです)
2.小林 恵子(やすこ)『二つの顔の大王』「越の国から忽然とあらわれた謎の天皇・継体、そしてそれに続く欽明、敏達、聖徳太子……。しかし驚くべきことに、彼らは同時に百済王、新羅王でもあった。」文藝春秋社、1991.この図書御存知ですか? とっても凄い本です。どうすごいかは、まあ、読んでみないと。

投稿: Mu | 2004年3月16日 (火) 05時39分

実は高槻出身娘です。
確か学生時代(今となって小学校だったか中学校だったか、はたまた高校だったか…)に今城塚古墳と継体天皇陵の話は聞いた覚えがあります。
今城塚古墳の航空写真なんかを見た記憶もあるのですが、確か結構ぞんざいな扱いを受けていたような気がしますね…。
平気で古墳を侵食したような形で住宅が建っていたはずです。
実際に見学にも行ったのですが、本当に「行った」だけで終わってしまいましたね。今思えばもったいないことです。

ちなみに昔の淀川については数年前の大学学部主催遠足の際にちらりと耳にしたのですが、今の山崎辺りにも橋が架かっていて割と頻繁に往来があったようです。
今の枚方大橋のような大渋滞はさすがになかったと思いますが…(苦笑)

投稿: J-NETTER | 2004年3月24日 (水) 22時59分

高槻さん
 意外ですね。そうですか、山崎あたりに橋があったとの伝承があるのですか。
 実は最近岩清水八幡へふらふらと出かけまして、その折に谷崎先生の芦刈の文学碑を見ました。で、私の朧な記憶では、芦刈は山崎の川原の葦と、こびりついていたのですが、もし橋でもあれば、男山と山崎なんて徒歩30ですからね。
 と、伝聞に伝聞を重ね、そこへ朧な記憶をこき混ぜるのですから、まあ、この話は後日「なかったこと」にするかもしれません。あしからず。
追伸
 高槻へお帰りの折には、今城塚古墳の写真をいっぱいとって、著作権フリーで、このMuBlogに貸与くださいませ。よろしく。わたしは、どうにも混乱の171号線を右折することができないようです。

投稿: Mu | 2004年3月24日 (水) 23時13分

石清水八幡宮…さらに教育実習中のこぼれ話が出てきそうですが、脱線が激しくなるのでやめておきましょう(苦笑)

そうですね。帰郷の暁には決死のドライブをして写真でも撮りに行きたいものです。
しかし次回の帰郷予定は未定です。GWまで帰らない可能性が濃厚になってきました…。

投稿: J-NETTER | 2004年3月24日 (水) 23時34分

j-netterさま
 いやはや、地理地勢歴史に詳しい方が集まるものですね。
 今度は岩清水八幡こぼれ話ですか。また、お聞かせください。コメンテーターのリピーター(変な日本語ですな)は、ありがたいもんです。しかし、車歴30数年の小生でも171号線は曲がれないのですから、お若いj-netterさま、十分お気をつけてください。

投稿: Mu | 2004年3月24日 (水) 23時43分

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