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2004年3月14日 (日)

蘇我石川麻呂と皇臣傳

 『皇臣傳』は文学として、保田與重郎の最良のものではない。昭和16年頃に書き継ぎ昭和18年初版初刷。時代性のなかで文体に柔らかさを欠く。私がこの図書を記録したのは保田が八人の者を、保田が文人として選んだ、その見識からである。そうしてこの図書は史上の人物を簡便に知りたいとき、辞書代わりによく使う。しかしながら、私はその文体から、年齢によって吸収するものが異なっていた。簡単にいえば難解。丁寧に言えば晦渋、イロニッシュ、言葉につくせぬものを言葉にしているから、文字だけをみていても分からぬことがあった。年齢とともに受けとり方が変わってきた。
 川村二郎『イロニアの大和』山田寺、を読んでますますその感が深い。なぜ当時、蘇我石川麻呂を保田は選んだのか。それは、大化改新から壬申の乱へいたる国史批判の、保田にとってのスタートであったように思える。つまり保田は石川麻呂を挙げたことで中大兄皇子(天智天皇)、鎌足政権を当初から否定していた。鎌足への評価は功臣だが忠臣ではない、となる。それとともに、中大兄皇子が、石川麻呂惨殺に荷担したことを自覚しなかったはずはない、と断言(韜晦であっても、今の私は断言以外ないととった)している。現在ようやく、硬直した文章の背後に当時の保田の真意らしきものを味わえるようになった。保田與重郎33歳頃の作品。
浅茅原、2004/03/14記

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