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2004年3月14日 (日)

日本・歴史・古代・邪馬台国:まほろばの歌がきこえる/苅谷俊介

By NDL-OPAC GB163-G168

まほろばの歌がきこえる : 現れた邪馬台国の都/苅谷俊介著
東京:エイチアンドアイ、1999.3
11,296p ; 20cm
ISBN 4-901032-60-7
定価 2000円

全国書誌番号 20018108
個人著者標目 苅谷, 俊介 (1946-) ∥カリヤ,シュンスケ
団体名・地名件名 邪馬台国 ∥ヤマタイコク
NDLC GB163
NDC(9) 210.273
本文の言語コード jpn: 日本語
書誌ID 000002841358

帯情報

卑弥呼が眠る古代宮都の全貌を解き明かす!
三世紀初頭、『魏志』倭人伝に記された邪馬台国の時代、三輪山山麓に広がる纒向(まきむく)遺跡(奈良県桜井市)に、わが国最初の国際的都市が造営されていた!
個性派俳優のアマチュア考古学者苅谷俊介が、十九年間の研究成果を賭けて、古代国家成立の最大の謎に挑む。
≪おもな内容≫
*邪馬台国と卑弥呼のルーツ、弥生大集落「唐古・鍵(からこ かぎ)」の全容。
*太陽祭祀と銅鐸祭祀の大司祭者・日妻巫女(ひめみこ)と“女王”卑弥呼の関係。
*纒向遺跡に造営された“女王”と“大王”の、二つの宮都の痕跡。
*“聖壇”纒向石塚と神々のあいだを結ぶ計算された点と線。
*後漢尺四〇〇歩(571.6メートル)四方の宮都域の設計プラン。
*箸墓(はしはか)古墳に秘められた“女王”卑弥呼の死と邪馬台国終焉の真相。
*箸墓古墳の墳形と被葬者を特定する手がかり。
*邪馬台国と抗争を繰り広げた狗奴国(くなこく)とその男王・卑弥弓呼(ひみくこ)の正体。
*初期大和政権の初代“大王”と「御間城入彦五十瓊殖(みまきいりひこいにえ)」を結ぶ糸。

目次
「葦原中国」の原像―― 弥生大集落「唐古・鍵」から邪馬台国の中枢「纒向」へ
古代の奈良盆地を行く
葦原中国
「葦原中国」の原像 Ⅰ:小地域名・ヤマト
「葦原中国」の原像 Ⅱ:忌詞・聖と俗の名称
「葦原中国」の原像 Ⅲ:唐古・鍵

“日妻巫女”が治めた国―― 銅鐸祭祀の大司祭者から卑弥呼へ
太陽に仕える“日の妻の巫女”
銅鐸の祭りと共同体
何人もいた銅鐸祭祀の司祭者
「国」の成立と日妻巫女体制の確立
消えゆく日妻巫女

倭国大乱と“女王”卑弥呼―― 先ヤマタイ国から邪馬台国へ
六大勢力と大連合体(大国)の形成
二人にしぼられた日妻巫女
朝鮮海峡文化圏のなかの北部九州
倭国大乱
女王「卑弥呼」

太陽祭祀と邪馬台国の“宮都”―― “聖壇”石塚と二つの纒向遺跡
二つの纒向遺跡
埋もれた二つの“宮都”
纒向遺跡の消長:第一期と第二期
第一期纒向遺跡
纒向石塚は墓ではない

計算された神の遷移地―― “聖壇”石塚が秘めた謎
太陽祭祀の場の移動
笠縫部の住地と笠縫邑
“聖壇”石塚前方部が秘めた謎
  Ⅰ:拝入部を有する“円丘”から前方後円形へ
“聖壇”石塚前方部が秘めた謎
  Ⅱ:太陽神宮殿外祭祀の場と笠縫邑
天照大神と大物主神の結婚
計算された神の遷移地

造り変えられた箸墓古墳―― 二つの“入”勢力と邪馬台国の終焉
纒向遺跡の“入”勢力
  Ⅰ:最初の“入”勢力
纒向遺跡の“入”勢力
  Ⅱ:第二の“入”勢力
箸墓古墳 Ⅰ:“円丘”から“前方後円形”へ(立地から)
箸墓古墳 Ⅱ:“円丘”から“前方後円形”へ(墳丘構造から)
箸墓古墳 Ⅲ:“円丘”から“前方後円形”へ(検出された遺物から)
箸墓古墳 Ⅳ:“円丘”から“前方後円形”へ(前方部北端調査)

“宮都”造営 Ⅰ―― 中国の王都と尺度
中国王朝の都市計画と纒向の方画性
纒向に使用された尺度と測量技術

“宮都”造営 Ⅱ―― 山立てと後漢尺で設計された方画都市の出現
第一期纒向遺跡の山立てと地割
初瀬山と巻向山
後漢尺による方画地割と“円丘”石塚

復原・箸墓古墳―― 邪馬台国終焉のモニュメントに秘められた計画
過去の調査と想定地割線の重なり
第一期纒向遺跡の全容と変遷
箸墓築造位置の計画性
被葬者は『魏志』倭人伝の卑弥呼
築造時の墳形は“円丘”

“大王”が造ったヤマトの都―― 台頭する狗奴国と第二期纒向遺跡の造営
司祭者・臺與の運命
第二期纒向遺跡の範囲と箸墓
宮殿造営
中国・江南方面とのつながり

最初の“大王”と初期大和政権―― 狗奴国男王“御間城入彦五十瓊殖”の登場
最初の“大王”――稲荷山鉄剣をめぐって
御間城入彦五十瓊殖(崇神天皇)
「ヤマト」とは何を指したか

あとがき
注釈および出典・参考文献一覧
掲載図版類の出典・参考資料一覧


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コメント

私も刈谷さんの本、読みました。素人とは思えない論理思考と豊富な資料には驚きました。彼は現実に発掘作業に参加しておられるし、テレビで彼の考古学への
憧憬を特集した番組では感動を受けました。 マキムク遺跡の年代が逆上り、ほぼ邪馬台国論争もマキムクに軍配が上がりそうですね。イリ王朝迄は栄えたんでしょうね? 箸墓古墳はロマンチックです

投稿: jo | 2004年3月18日 (木) 17時06分

私は刈谷さんの本に描かれた想像図がとても気に入っています。
この本は宝物ですね。
しかし、解らないのは、三輪土着と崇神天皇と鍵唐子弥生人の関係ですね。ちゃんと書いてあるんだけど。結局出雲大物主の世界が残りました。また、勉強しておきます。

投稿: Mu | 2004年3月18日 (木) 18時05分

 大物主は出雲四大神の一つ野城大神ではないのかと思ったりもします。大物主をニギハヤヒとしますと、安来と大阪を直線で結んだところに船通山があります。むかし近所のお爺さんに聞いたぼやけた話だけど、船通山は天の磐船が通過したから船通山というと聞きました。船通山は別名、鳥髪峯といいスサノオの尊の降臨地でもあります。

投稿: クナト | 2007年9月 8日 (土) 00時23分

クナト神さん
 返事が遅れました。ネットを眺めていて、びっくりして、頭がまとまらなかったのです。
http://d.hatena.ne.jp/nmomose/20070513/izumo

 クナト神さんとは関係ないと思いますが、こういうblogを眺めていると、どう考えて良いのか。おもしろすぎてぇ(爆笑)

 で、船通山ですが、大体分かりました。ものすご山の中ですね。神話はこういう所に伝わるのかも知れません。
http://maps.google.co.jp/maps?f=q&hl=ja&geocode=&time=&date=&ttype=&q=%E5%B3%B6%E6%A0%B9%E7%9C%8C%E4%BB%81%E5%A4%9A%E9%83%A1%E5%A5%A5%E5%87%BA%E9%9B%B2%E7%94%BA%E7%AB%B9%E5%B4%8E%E8%88%B9%E9%80%9A%E5%B1%B1&ie=UTF8&ll=35.143775,133.182106&spn=0.194271,0.43396&z=12&om=1

投稿: Mu→クナト神さん | 2007年9月 9日 (日) 11時38分

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受信: 2007年4月14日 (土) 23時24分

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受信: 2009年11月12日 (木) 18時57分

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