いしぶたいこふん:石舞台古墳
石舞台古墳(奈良県高市郡明日香村) マピオンBB地図
小林秀雄に「蘇我馬子の墓」がある。大学浪人中に読んだ。だからそれ以来何度も訪れている。最近は付近が整備されているので、天気がよければ周りの公園を散歩するのに良い。多武峯(とおのみね)の麓にあるという感じがする。事実、道があって山上の談山神社から歩いて降りてくると丁度石舞台である。
また、何度も何度も出かけていくだろう。単純で、どっしりしていて、大きい。
石舞台の外観
石舞台の羨道(玄室への出入り口)
石舞台の内部
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コメント
今日の朝刊で明日香『島庄遺跡』の発掘
ニュースが流れましたね。 私も何回も逍遥
した経験が有りますが、蘇我氏の強大な
権力を想像させます。 今回の発掘に引き続く本命の北西方向の馬子邸宅、島宮の建物跡が発掘されるのが楽しみです。
投稿: jo | 2004年3月12日 (金) 09時15分
そうでしたか。朝から葛野記(2004.3.12)で馬子が見つからないとなげいておりましたが、キーは「島庄遺跡」ですね。Googleではいくつか出てきました。ありがとう御座いました。
葛野記2004/3/12
http://www.koka.ac.jp/taniguti96M/0/40/KKI/2004/200403/KKI200403.html#Anchor11268">http://www.koka.ac.jp/taniguti96M/0/40/KKI/2004/200403/KKI200403.html#Anchor11268
投稿: Mu | 2004年3月12日 (金) 09時29分
昔から不思議に思っていましたが、何故
馬子とか入鹿とか 動物の名前を権力者が つけていたのか? 動物の霊力を頂く為とか・・何処かの本で読んだ覚えがありますが・・本当でせうか? もともとは
馬子も『大臣(オオオミ)』と呼ばれていたそうなので、誰も本名は知らんかった
んでせうか? それとも、大化の改新で否定されて変な名前に変えられたんでせうか? 不思議ですね。
投稿: jo | 2004年3月12日 (金) 16時02分
【名前の佳き事例】
葦原醜男(あしはらしこを)という神さんがおられます。大国主の別名ですね。丁度私の別名がムであるのと似ております(似ていないな)。醜男の事例をいろいろ見ていると、一応は「頼もしくて、イイ男」というイロニーというか、反語のようなものでしょうか。ただ、出雲は大和から手ひどい仕打ちを受けた国ですから、悪い事例そのものかもしれません。
【名前の悪き事例】
八世紀後半、宇佐八幡神託事件で、「道鏡を天皇にしてはならぬ」という神託を持ち帰った和気清麻呂(わけのきよまろ)を、称徳女帝は罰してこれを「別部穢麻呂(わけべのきたなまろ)」と改名し、流罪としました。國史を閲すれば、このとき清麻呂関係者の何人も悪しき名前に変えられた記録があるはず、と覚えています。
【レファレンス・ライブラリアン独り言】
私は典拠確認を怠る愚図なレファレンス・ライブラリアンのようです。すみません。司書小泉佐保君に知られると怒られますね。
蘇我稲目、馬子、蝦夷、入鹿と三代にわたり奇妙な名を持った蘇我氏は、大化改新以降正史で改名されたのかどうかは、調べるのに時間がかかりそうです。蘇我倉山田麻呂という名前なんかは氏(うじ)職責(倉は大蔵大臣みたいな、でしょうか)と地名とを合わせたノーマルな名前ですね。丁度、浅茅原葛野教授ム、みたいな。
私が無教養なだけで、きっと専門家はなんらかの結論を出しておることでしょう。國史・名辞考、というような書名で。授業が始まったら、司書の卵さんたちに、調べさせてみます。私は目もかすみ、手も震えるので、これくらいにします。
投稿: Mu | 2004年3月13日 (土) 06時55分
9月15日、明日香に行って来ました。
石舞台は、変わらず「単純で、どっしりしていて、大き」かったです。
明日香は、真っ赤なヒガンバナで彩られているのに、この石舞台の周りには、「白いヒガンバナ」が咲いていました。
白いヒガンバナなんて、初めてでした。花の形は、赤いヒガンバナと同じですが、色は純白でした。
おみやげに、地元のおばあちゃんから栗を買いました。
今晩の夕食は、栗ご飯です。
投稿: wd | 2004年9月16日 (木) 11時02分
wdさん、
私も真っ白の彼岸花を見たんです。実家の近くのある大きなお家の庭に咲いていました。(知り合いのお家ではないので、外からチョッと見るだけですが。)
私以外で白い彼岸花を見た人がいらっしゃって良かった。なかなか信じてもらえなかったんですよ。
投稿: 羊 | 2004年9月16日 (木) 12時40分
WDさん
羊さん
いま読みました。
白い彼岸花が明日香にも京都にもあるわけですか。勉強になりました。flowerさんのサイトでは、赤が印象的でした。火事のイメージでしょうね。
石舞台も1400年くらいたっているはず。どっしりと構えていますね。石のよさです。
投稿: Mu | 2004年9月16日 (木) 14時44分
白い彼岸花は昨日、読売新聞の記事で見ました。
彼岸花は原産が中国で稲作の伝播と共に日本に到着したそうです。名前が仰山あってそれだけ、日本人と馴染みが深いそうです。根には毒があるので、畦道に植えて鼠とかモグラとか退治したそうです。食料危機には、でんぷん質が豊富な為に水でさらして毒を抜いて、食したそうです。お墓では野犬とか狼とか土葬の遺体を食い荒らす連中を排除刷る為に、彼岸花を植えたそうです。
いろいろ歴史があるんやね。
投稿: jo | 2004年9月16日 (木) 15時12分
JOさん
彼岸花の歴史情報は、hisakiさんが、
http://asajihara.air-nifty.com/mu/2004/09/20040905.html
の記事のコメントで、以下のサイトを紹介して下さっています。
http://www.geocities.co.jp/NatureLand/4022/
投稿: Mu | 2004年9月16日 (木) 16時25分
白いヒガンバナは、「白花曼珠沙華」というそうです。
岡寺の境内には、黄色いヒガンバナも咲くそうです。
これは、見られませんでした(泣)。
(白いヒガンバナ・・。見つけたときは、本当にうれしかったです。
この花って、ワタシみたい。「・・?」。
あなたの色に、染まります。でも、根っこには、毒がある・・。)
投稿: wd | 2004年9月16日 (木) 17時00分
WDさん
黄色いヒガンバナもあるのですか、知らなかった。
毒。
ミステリでは女性犯人のお家芸は毒殺です。
そうですね、
バラには刺があり、クラゲにもとげがある。
ヒガンバナの毒。水でさらして食べる人。
毒キノコ、毒魚、・・・
植物毒は歴史的によく効き聞きますね。トリカブト。
投稿: Mu | 2004年9月16日 (木) 17時46分