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2004年3月31日 (水)

いわみぎんざん:石見銀山

石見銀山(島根県大田市大森町) マピオンBB地図

 銀山とか金山と耳にすると心がときめく。石見銀山は、未踏地だからなおさらである。佐渡金山は数年前に行ったが、この石見銀山も京都からは佐渡と等しく遠隔地故、なかなか勇気がわかない(つまり、私のような出不精にとっては、一泊かかりそうなところは、火星か木星くらいに遠く感じられる。逆に、ロサンゼルスも石見も同じ感覚ともなる)。
 幼少時から「いわみぎんざん、猫いらず」という節を耳にしていたから、当初は銅の緑青とおなじく銀は水銀みたいに、猛毒と思っていたようだ。いま辞典でみると、殺鼠剤は石見銀山のヒセキとかいうしろものらしい。この砒石とはさらに調べると、ヒ素を含む鉱物の古称らしい(広辞苑)。
 
 坑道を歩くと夢見がちになってくるのは、よく分からない。いろいろな要素があるのだろう。佐渡金山も、そして近くの何度も行った生野銀山も、またさまざまな鍾乳洞も、私には心地よい散歩道である。幼少時のベルヌの地底旅行なんかの影響を受けたままの加齢なのだろう。

 一つ気になる。家康時代の大久保長安(ながやす)である。佐渡にも石見にも関係している。石見守叙任となっている。しかし死後、彼の一族郎党は幕府によって皆殺しにされた。謎の人である。もともと、彼の父は武田信玄に仕えた猿楽師・大蔵大夫金春七郎喜然であり、長安はその次男らしい(朝日日本人物歴史事典)。妖しい。実に妖しい話である。

 この妖しさは山田風太郎『かげろう忍法帖』所載中編の「忍者本多佐渡守」(講談社文庫)を読めばある程度わかる。なお、この作品は山田さんの中でも絶品と私は思う。他には、半村良『講談 大久保長安』(講談社文庫)もある。もともと半村さんは初期SF時代から愛読者であった。
 さらに山師全般については、大昔に松本清張『西海道談綺』を図書館で8冊もかりて読み切って、なるほどと思った。山師というとなにやらうさんくさいが、なんとなく異能の持ち主でないと山から金銀を見つけられなかったらしい。要するに、しかるべき山スジを山カンできめて、その山を朝夕適切なおりにながめ、その山にオーラのようなものを見つけると、そこに大鉱脈があったらしい。と、清張さんの小説で往事リアルに学んだ。

 話がいろいろ曲がってきた。妖しの大久保長安の墓が石見銀山にあるらしい。

 参考にサイトを二つあげた。一つは堅めの、島根県教育委員会文化財課による「世界遺産候補石見銀山
 もう一つはカラフルな銀山街道図録、及び同絵地図、石見銀山

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2004年3月30日 (火)

えちぜんおおのじょう:越前大野城

越前大野市

大野城(福井県大野市城町) マピオンBB地図

 わざわざ越前と先に付けたのは、検索エンジンで「大野城」と入れてみると、ほとんどは福岡県の大野城市にヒットしてしまったからである。しかし、私が以前行ったところは、確実に越前、福井県の大野市だった。
 (最近、記憶のことを考えていて、ついには時折、自分自身の記憶がゆらゆらとしてしまい、おぼろになるので)
 こうして大野市に訪れ、城にあがると、つくずく日本の歴史の重層を感じてしまう。大野城は天正4年と記してあったから、信長、柴田勝家、秀吉の時代、すなわち16世紀のことである。金森長近という武将が築城したようである。(伝聞推測になりがちなのも、記憶だけではなくて、記録自体ももやもやと影が薄くなる感覚にとらわれる故)

 朝市がたち、水が美しく、武家屋敷があり、高い山を遠望できる、小綺麗な町だった。宿の風呂が屋上にあり、ライトアップされた城を見た記憶もある。実は、縁戚がここに住んでいるらしい。腹違いの姉らしい。これもまた、今は亡き母に聞いたのか、亡き祖母に聞いたのか、よく覚えてはいない。
 以前、近所の大学で非常勤講師をしていた頃(実は、今もしている)、英語力が抜群の(エースという称号クラスにいたような)学生がいて、共同演習で突出した働きをしていた。その学生の名前を遂に覚えられず、ひたすら出身地の「大野君」で通した覚えがある。失礼だと思いながら、どうしても覚えられなかった。出身地で名をいうのは、まるで渡世人の世界だな、と今も我が身を省みて、慚愧苦笑している。「イイオカ、のう」と言えば飯岡村の親分とか、「シミズ、のう」といえば清水次郎長さんをさしていたような、そんな記憶が元々の因だった。
 しかし、やはり、大野市になにかしら愛着があったんだろう。幼稚園の頃、「オオノ」という言葉をよく耳にしていた。
 総ては曖昧模糊とした世界である。

 写真中央の雪を懐いた山は、城の足下に学校のグランドが見えることから、地図でみると方角が東に30キロ離れた、標高1709メートルの大日ケ岳と思われる、が怪しい。大野君に聞く機会があれば、確認してみる。

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2004年3月29日 (月)

倶楽部にもBlog

 今日は2004年3月29(月)。午後早くから一番隊長(2004)が屯所でしこしことマシンに向かっていた。そして、ついに葛野図書倶楽部Blogが完成した。いや、めでたい。みんなコメントしてください。

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くずりゅうだむ:九頭竜ダム

九頭竜ダム
 
九頭竜ダム(福井県大野郡和泉村長野)マピオンBB地図
 越前・大野市から車ですぐに着きました。なぜここを訪れたかは、そんなにたいそうな理由ではありません。要するに、名前です。頭が九つもある竜、ってすごいじゃないですか。それに、もう少し走れば岐阜県に入り、そのあたりに内田康夫先生の「白鳥」なんちゃら殺人事件の宿があったはず?(未考証)われながら、行き当たりばったりというか、要するにぼんやりしたあわい記憶で行動するもんだなぁ、といまでも我が身を振り返り失笑。(その上、「疲れた。白鳥は、行くのやめとこ」というていたらく)
 参考サイトに、日本ダム協会をあげておきます。一見堅いサイトですが、頁末にリンク集や参考文献があって、結構楽しめます。


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2004年3月28日 (日)

りゅうじんおんせん:龍神温泉

龍神温泉(和歌山県日高郡龍神村大字龍神 ) マピオンBB地図
 関西に住んでいるのに、私の場合は、京都、奈良、近江の順によく出歩き、和歌山となると激減する。奈良といっても、吉野くらいが南限で、十津川村へ行ったのは三十年をゆうに越す昔日故に、未踏地といえる。その十津川村の南西に龍神温泉があるらしい。らしいと言ったのは、あくまで地図の上であれこれ夢想しているからであって、現実にはわからない。
 龍神という名前に惚れている。幼児期から、村の龍神の池とか、龍神さま、とか民話っぽい話に胸ときめかせていたから、そういう三つ子の魂はいつまでも続くのであろう。名前を変えてもよいなら、龍神時三郎(りゅうじん・ときさぶろう)なんかもよいな、と思う。なぜ、時三郎、かはいま思いついた名前だから、理由はわからぬ。
 温泉もよい。めったに行かないが、行くと嬉々としている。最近では有馬温泉に行った程度だが、大抵はなにかの催しものについていくという程度で、自分でルートを開拓したことはない。そういえば、地図の南に那智があるが、ここの海に面した忘帰洞(帰るのをわすれるほどの所の意味らしい)は、南海の波が押し寄せて、また行ってみたい。
 そうそう、龍神温泉だが、これは三美人湯となっていて、女性の肌によいらしい。自らのシミだらけの両手を見ていると、我もまた行かん! ちょっとは綺麗(笑)になるかもしれない、とついそそられてしまう。

 しかし欲張りだから、地図を見ていると、やれ神武さんが上陸したルートをたどりたいとか、天川神社に寄ってみたいとか、最近見直している松本清張さんの『神々の乱心』のルートを歩きたいとか、できもせぬことに、日曜の夕刻夢想している。
 さて、早朝三時頃に起きて、龍神温泉までぶっ飛ばし、外湯に入ってビールを飲んで、帰ってこようか、とも思う。実は、泊まりがけが苦手なんだ。夜は九時ころに眠り、朝方三時ころに起きてお腹を空かせるパターン、しかも必ず美味いコーヒーを飲まないと落ち着かない、・・・では宿泊は極めて限定される。

参考サイトは龍神村のものにした。
  龍神温泉
  和歌山県龍神村

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2004/03/28 晴

 早朝から起きて、じっとしている。
 とりたてて鬱でもないし、心身快調である。
 で、なにゆえにじっとしているのか。

 笑えるほどに、天候、気候、体感のよい日曜日だ。

 起床は4時だからまだ暗く、天候もよくわからなかった。その時間帯はパンを食べたり仕事メルの整理をし、返事をしていた。
 7時ころから、現在10時半過ぎだが、じっとしている。
 つまり、なすべきこと、なしたいことが多く、そのうえ肩が少し痛み出したから。
 
 楽しみにしていた、小説を一気呵成に読む。
 楽しみにしていた、身辺小説日記類を、一気に書く。
 楽しみにしていた、京阪にぶらりとのって貴船を散歩する。
 楽しみにしていた、近鉄に乗って奈良公園散歩して、旨いものでも食べる。
 部屋を徹底的に掃除する。
 逃れようもない責務、外部委員長仕事を今日の内に一気になせば、月火は花見に行ける。

 これだけオプションがあると、迷いに迷い、まだ迷っている。ごろりと横になり、天井をながめて、「さて、どれにしようか」と、数時間考えている。そのうち昼食になって、酒でものめば、あははは、夕方にのっそり起きる。

 ああ、人生は選択肢が多い。
 決定するのは、いつもつらい。
 どうしよう。

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2004年3月27日 (土)

カナーン96の新航海

 今日の、2004年3月27日土曜日は記念すべき日となった。往年の隆盛にはくらぶべきものでもないが、定例、3月例会が催された。ツオイエ現船長は遅参し、リッツ厨房士はついに参集かなわなかったが、Fマリ新船長元気よく登場。
 もろもろの議事を果たした上で、みなみな葛野図書倶楽部2001のセンターマシンに陣取り(これは別の倶楽部マシン。よく考えるとカナーン96にはセンターマシンがない)、しかしかとタイプ操作、ついに新たなBlogの立ち上げに成功した。
 名付けて、canaan96、なり。アドレスは、http://blog.livedoor.jp/canaan96/ 単純きわまるアドレスとあいなった。

 ところで。このまま進むと、毎日トップページデザインが変更され、記事は改変改竄削除の嵐に見舞われ、いずれBlogマスターを新規採用せねば、混乱つきることなく、酸鼻をきわめる状況に立ち至ることは必定。
 ままよ、静観するもよし。我もまた、毎日ナノセコンドレベルの差で、改変にいそしもう。げに、Web上での共通アクセスとは、あははは。おもろいものであるな。

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まつもとこうとうがっこう:松本高等学校

旧制・松本高等学校

松本高等学校(長野県松本市県(あがた)) マピオンBB地図
 私が大学生の頃、北杜夫さんが「ドクトルまんぼう」というシリーズを書いておられた。随分面白い内容で、大学への行き帰り、京阪電車の中でそれを読むたびに、身体を揺すって笑っていた。混んでいるときは、人並みに気を付けてはいたのだが、ページをめくるたびにだんだん身体全体が震えだし、ついには爆発爆笑してしまい、周りから怪訝な目で見られた。
 で、北杜夫さんは松本高等学校におられたらしい。『楡家の人々』でもあったような記憶。その高等学校へ、以前めずらしく信州大学の図書館から講演を頼まれた翌日に、ふらふらと行ってみた。その記念である。
 当時の高校生は5年間ほどいたらしい。20歳ころまでだろうから、今の学部2年生程度だ。もとからエリートだったから、こういう高校もなんとなく、風格がある。
 つまらぬ追記をするが、北杜夫さんのお兄さんは著名な精神科医で、著書もたくさんある。そうしてお二人の親父どのは、斎藤茂吉さん。と、ここまでかみ砕いて、そのはてに「斎藤茂吉さん?」と、時々聞かれて困る。「そうじゃねぇ、お医者さんで、歌人。高校の教科書になかったですか?」

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2004年3月26日 (金)

出雲と現代詩

わが出雲・わが鎮魂/入沢康夫 表紙 『わが出雲・わが鎮魂/入沢康夫』
二十代のはじめに偶然書店で買ってしまった入沢康夫の詩集をひもといて、赤面してしまった。本来私の書架に詩集はない。あるとしたら、・・・そう確かめてみた。ランボーの全詩集翻訳、中原中也一冊、萩原朔太郎一冊、伊藤静雄一冊、後鳥羽院、新古今和歌集、万葉集。現代詩と和歌集をあわせて詩集というのは乱暴な話だが、その程度の背景しか持ってはいない。赤面したわけのひつとには、そういう感性しかない男がどうして、『わが出雲・わが鎮魂』というような名作を、三十五年にもなる大昔に、書店に出たとたん買ってしまったのだろうか、そのことが思い出せない。もしかしたら、当時の青年特有の「知的ファッション」俗物趣味じゃなかったろうか、という恐れがふとわいたからである。定価が800円だったから、換算すると7倍(初任給が当時3万円、現在20万円程度)で、時価5千円程度の詩集である。このとき私は無収入だった。今だったら身を飾るために図書なんか買いはしないが、当時は自信がない。まともな女性の気持ちを得るには詩のひとつやふたつは話題にできないと、という雰囲気はたしかにあった。そうなのか、という恐れが赤面をもたらした。しかしそうではなかった。詩集自身が私を惹きつけた。ダンボールの鞘箱に入っていた。おや? だった。一見墨絵のようなデザインだった。巻頭から私を引きずり倒してしまった。

やつめさす
出雲
よせあつめ 縫い合わされた国
出雲
つくられた神がたり
出雲
借りものの まがいものの
出雲よ
さみなしにあわれ

詩集の後半部はおびただしい自注だった。全詩句について、出典が注されていて、それはパロディのパロディ、本文も注記も「もどき」であると、後書きにはあった。私は、パロディを楽しんだ覚えはなかった。明確に入沢康夫の言葉と詩集全体が持つイメージに惹きつけられて、家に持ち帰るしかない状態に陥った。注記を読んだ記憶が鮮明ではない。今なら読むかも知れない。当時の私は今の千倍、自分の感性に自信があった。注記を読むほどすれてはいなかった。わが出雲・わが鎮魂/入沢康夫 すでにしてぼくは出雲の呪いの中を西に走つている。
しかし本当の赤面は、昨日からしっかりと甦っていた。私は生涯この詩集や入沢康夫に頭があがらないだろう、という諦念さえもたらしてしまった。私は当時の自作に幾度となく、わたし自身の『わが出雲・わが鎮魂』を組み込んでしまっていた。そのことに昨日明確に気が付いたのだ。
深夜の国道2号線。岡山から雨にぬれ。時速90キロ。ゴーグルにつきささる氷雨(ひさめ)。尾道をすぎる頃。

これを書いていたから、わが出雲を買ったのか、わが鎮魂を読んだから、深夜の国道2号線と記したのか。本当のところはよくわからない。しかし自分の中で幾度となく繰り返している言葉「深夜のルート2。号線。海をめざして」こんなぶった切ったようなリリシズムを自分自身が紡ぎ出せるわけがない。赤面するほどに入沢康夫の影響を受けていたに違いない。

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2004年3月25日 (木)

ネットスケープV7.1

 3月7日からMuBlogを始めたが、初期からさっきまで、このiMac上、ブラウザでは一カ所不都合があった。記事作成の時に、HTMLの「ボールド、斜体、アンダーライン、リンク、メール、引用」は利用出来るはずなのに、ここでは出来なかった。これまで、直打ちか、となりのwinマシンでやっておった。
 結論は、ネットスケイプブラウザを、7.02仕様から7.1仕様に変更したら、あっけなく出来るようになった。ところで、Safariはどうにも文字コード扱いがうまくない。最近プラチナXにも聞いたが、治らないらしい。しかし、Netscapeが健在なら、これでよし。
 いずれにしても、横のwinマシンが昨日から不調で、今朝は800で16色モード、のセイフモードでやっとネットワーク付きで立ち上がった。当面、winはマザーボードごと取り替えないとだめなので、iMac専従になろう。
 それがうまく行くのだから、世の中おかしいな。
 そうそう、winマシンで印刷しようとしたら、このモードだとネットワークはあつかえても、印刷はできないらしい。どうにも、この世界はしんどいことよ。マイクロATXボードなので、種類が少なくて、なかなかにしんどい。
 要するに、ビデオチップがいかれたと判断している。
 以前もそうだった。以前は画面が真っ黒なまま生を終えた。
 今回は16色でるのだから、まあ、まし。しかし、印刷用のリソースがたりません、と出たときは、笑った。どうか、このこいそがしい中、このiMac様だけは、健やかに生きますように。

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日本・歴史・古代:青銅の神の足跡/谷川健一

By NDL-OPAC GB161-159

青銅の神の足跡/谷川健一著
東京:集英社、1979.6 [同9月10日第二刷]
350p ; 20cm
定価 1200円

全国書誌番号 79022926
個人著者標目 谷川, 健一 (1921-) ∥タニガワ,ケンイチ
普通件名 日本 -- 歴史 -- 古代 ∥ニホン -- レキシ -- コダイ
→: 日本 -- 歴史 -- 大和時代 ∥ニホン -- レキシ -- ヤマトジダイ
→: 日本 -- 歴史 -- 大化改新時代 ∥ニホン -- レキシ -- タイカノカイシンジダイ
→: 日本 -- 歴史 -- 奈良時代 ∥ニホン -- レキシ -- ナラジダイ
→: 日本 -- 歴史 -- 平安時代 ∥ニホン -- レキシ -- ヘイアンジダイ
普通件名 銅鐸 ∥ドウタク
→: 青銅器 ∥セイドウキ
→: 鐘 ∥カネ
NDLC GB161
NDC(6) 210.3
本文の言語コード jpn: 日本語
書誌ID 000001415899

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2004年3月24日 (水)

くにともてっぽうかじ:国友鉄砲鍛冶

国友鉄砲鍛冶(滋賀県長浜市国友町) マピオンBB地図

国友一貫斎屋敷
鉄砲印

 国友の鉄砲鍛冶、という言葉は戦国時代をあつかった小説なんかで良く目にしてきました。最近も畏友JOさんが、継体天皇のことを記している内に、不意に「国友」の話がでてきたので、私も、それこそ不意に、そこへ行ったことを思い出しました。
 滋賀県は、想像以上に歴史の豊かなところです。20代から奈良についで、あちこち走り回りました。古寺、廃寺がありますね。よく思い出せませんが、司馬遼太郎さんのエッセイなんかに触発されて訪れた記憶があります。
 この国友町は、鉄砲鍛冶だけではなく、近世の大発明家、国友一貫斎の生まれ、生活した町でもあるのです。

 それにしても、すぐそばの琵琶湖。すばらしい風景です。近江八景というか、いつか、現代のそれをカメラに写しておきたいです。
(メモ:以前懇意にしていただいた、星野(元京大)教授が古代史にお詳しくて、古代の琵琶湖の風景をコンピュータで再現されておられた。その図書や雑誌は、いまもある。いずれMuBlogにも記録します)

参考サイト:国友鉄砲の里資料館

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2004年3月23日 (火)

日本・歴史・古代:大和に眠る太陽の都/渡辺豊和

By NDL-OPAC GB161-277
大和に眠る太陽の都/渡辺豊和著
京都:学芸出版社、1983.9
191p ; 19cm
(イメージの古代)
ISBN 4-7615-1082-X
定価 1800円

全国書誌番号 84026009
個人著者標目 渡辺, 豊和 (1938-) ∥ワタナベ,トヨカズ
普通件名 日本 -- 歴史 -- 古代 ∥ニホン -- レキシ -- コダイ
→: 日本 -- 歴史 -- 大和時代 ∥ニホン -- レキシ -- ヤマトジダイ
→: 日本 -- 歴史 -- 大化改新時代 ∥ニホン -- レキシ -- タイカノカイシンジダイ
→: 日本 -- 歴史 -- 奈良時代 ∥ニホン -- レキシ -- ナラジダイ
→: 日本 -- 歴史 -- 平安時代 ∥ニホン -- レキシ -- ヘイアンジダイ
普通件名 建築(日本) -- 歴史 -- 古代 ∥ケンチク(ニホン) -- レキシ -- コダイ
NDLC GB161
NDC(8) 210.3
本文の言語コード jpn: 日本語
書誌ID 000001662389

目次情報

1 大和三山は人工の山か
神話の風景
二等辺三角形の不思議
三輪・畝傍山にピラミッド稜線があった
耳成山と天香具山の争い
2 三輪山伝承と太陽信仰
みわとは何なのか
偏在する太陽信仰
三輪山伝承

3 磯城とは何か
磯城とは石城のことである
日本には石造建築が至る所にあった
土蜘蛛の空間
大和盆地はかつて湖底であった
神武天皇はなぜ磐余彦なのか

4 日本の巨石文化
ストン・サークルとストン・ヘンジ
飛鳥の巨石遺跡
日本のピラミッド

5 太陽の都 磯城宮
埋もれた地下帝国
天香具山の下に眠る巨大宮殿
森林の中の幾何学模様

闇と光の彼方ーー終章にかえて

参考サイト
   Toyokazu Watanabe Architecture Studio
   「大和に眠る太陽の都」
        ↑渡辺豊和氏のファンの方のようです。昔から眺めているサイトですので、記録致します。

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「誠」の旗のもとに~

makoto040311.jpg
 葛野図書倶楽部2001隊員に告ぐ。
 京王線の某駅に「誠」ありと、関東の鎮東大将軍より(年度末なので、初代一番隊長の昇格人事発令)報告あり。ここに告知す。みなみな、「誠」旗をあがめよ。最高顧問 (御名御璽)

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2004年3月22日 (月)

竹生島に虹を見た

竹生島の虹
 竹生島の虹(滋賀県東浅井郡湖北町) マピオンBB地図

 竹生島は未踏地です。これは対岸から憧れて撮ったものです。なにげなしに、竹生島を眺めると、虹がかかっていました。旅館について温泉に入って、一休みした後のことでした。
 ここの旅館は、尾上・紅鮎といいまして、とてもよいところです。部屋の風呂からも琵琶湖がみえて、大浴場はお湯が豊かでした。以前、関東のむくつけき夷(えびす)たちに声をかけたのですが、忙しい人ばかりだったので、計画は消えました。しかたないので、また勝手に行ってきます。なんとなく、関東の人たちは琵琶湖、その湖北の神秘をいまだご存知ないようですね。

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京都祇園夕桜

京都祇園夕桜
 祇園円山公園の夕桜 マピオンBB地図

 祇園八坂神社や、その奥の円山公園は年に何度か訪れます。3月末から4月初めは、夜桜です。7月半ばは祇園祭です。宵山の情景は山鉾よりも、祇園さんの方が最近は面白く思っています。そして、大晦日。行動パターンは年年歳歳、変わらないものです。
 夜桜は綺麗です、としか表現できません。とくに夕方がよいです。暗くなってしまってからのライトアップよりも、自然な感じがします。

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2004年3月21日 (日)

かなやのせきぶつ:金屋の石仏

金屋の石仏(奈良県桜井市大字金屋) マピオンBB地図

金屋の石仏:釈迦如来
 八月の暑い盛りに山辺の道を歩いていた。海石榴市(つばいち)の近くだったことを覚えている。これは万葉時代の歌垣の地で知られている。付近は金屋といって、御堂があった。石に仏を浮かびあがらせるという気持は分かりやすかった。彫り刻むというよりも、何かが湧きだしてくると言う、少しのニュアンスの違いがある。最近のサイトを見ると、重要文化財らしい。
 保田與重郎『日本の文学史』から引用しておく。

「弘仁時代と通称される時代の石仏の中の第一等の作は、金屋の弥勒さんとよばれる、桜井市金屋、三輪山の南麓にある二体陽刻の板石仏である。五十年程以前に、この石仏は地方の俗信をあつめ、参拝者で雑沓したことがあつた。維新当時にもさういふ例があつたと、古老は云った。」(奈良から平安へ・都遷り)

 

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日本・文学・保田與重郎:日本の美術史/保田與重郎

By NDL-OPAC K81-1
日本の美術史/保田與重郎著
東京:新潮社、1968
436p(図版共) ; 22cm
定価 1800円

全国書誌番号 75041495
個人著者標目 保田, 与重郎 (1910-1981) ∥ヤスダ,ヨジュウロウ
普通件名 美術(日本) -- 歴史 ∥ビジュツ(ニホン) -- レキシ
NDLC K81
NDC(6) 702.1
本文の言語コード jpn: 日本語
書誌ID 000001277587

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2004年3月20日 (土)

なに思うのか、またりん君

2000年秋のまたりん
 猫と一緒に住んでいる。もう、16年くらいになるかもしれない。
 名前は、またりん、男。
 気に入っている。
 ときどき名前を呼ぶが返事はめったにしない。猫とは、そういうものらしい。
 猫の魅力はこの16年間、よく味わっている。
 永遠に生きてほしい、とおもうことがある。

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2004年3月19日 (金)

信仰篤き人たち

大神(おおみわ)神社、境内で祈る人 マピオンBB地図

miwasinko.JPG

 2001年5月、三輪でみかけたイメージです。20代から30代の男女の祈る姿が焼き付いてしまっています。相当に長時間、静止したまま、ただ祈り斎き微動だにしませんでした。カメラを向けるのが申し訳なかった思いがしました。

参考サイトとして、大神神社

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2004年3月18日 (木)

日本・文学・評論:三輪山伝承/山中智恵子

By NDL-OPAC KG16-23

三輪山伝承/山中智恵子著
東京:紀伊国屋書店、1972.5
204p ; 18cm
(紀伊国屋新書;A-64)
参考文献:p.191-194
定価 400円

全国書誌番号 75019258
個人著者標目 山中, 智恵子 (1925-) ∥ヤマナカ,チエコ
普通件名 日本文学 -- 歴史 -- 大和時代 ∥ニホンブンガク -- レキシ -- ヤマトジダイ
普通件名 神話 -- 日本 ∥シンワ -- ニホン
NDLC KG16
NDC(6) 910.22
本文の言語コード jpn: 日本語
書誌ID 000001264526

帯情報

天神(あまつかみ)=河内王朝によって滅ぼされた三輪王朝の過ぎし栄えの日とその怨念を記・紀に探る

目次情報
 はじめに
一 三輪山と天皇霊
二 記・紀神代の大物主神
1 大物主神の性格
2 やまとなす大物主神と少彦名神の出現
  …『古事記』と『日本書記』第六の一書に拠る
3 幽神大物主神
  …『日本書紀』第二の一書に拠る国譲り
4 荒魂は顕れみたま

三 崇神紀の大物主神の祭祀
1 崇神紀の祭祀の概略
2 三輪山神婚伝説
3 水と日と蛇の巫女百襲姫の出自
4 箸墓伝説
5 祭主大田田根子
6 日に向う社
  …三輪の太陽の座
7 味酒三輪
  …託言醸成
8 三輪山の夢占による皇位継承
9 玉菨鎮石、出雲人の祭る
  …水と鉄の鎮魂呪詞

四 三輪山に在り立てる茅笠を
  …鎮魂祭の恋の座
五 はじめに石ありき
  …磐座・神籬・社稷
六 あかがねの八十梟帥
  …神武紀の磯城彦の行方
七 審神者登場
八 倭姫命世記
  …三輪から伊勢へ
九 誰にかも依らむ神の宮人
  …雄略朝の大物主神の没落
十 鐸ゆらくもよ
  …淡海流離譚
十一 三輪君逆の排仏と死
十二 三輪山の猿と蜜蜂
  …大化改新前後の巫覡
十三 情あらなも隠さふべしや
1 額田姫王の三輪山鎮魂歌
2 神杉の夢に死す
  …高市皇子と十市皇女
3 いにしへに恋ふる鳥
  …比売朝臣額田と中臣大嶋

参考文献
附表
あとがき

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日本・文学・詩歌・入沢康夫:わが出雲・わが鎮魂/入沢康夫

By NACSIS Webcat -- (BN01561825)

わが出雲・わが鎮魂 / 入沢康夫著<ワガ イズモ ワガ チンコン>. -- 普及版.
-- (BN04650761)
東京 : 思潮社, 1969.2
77p ; 26cm
注記: 普及複刻版 ; 絵:梶山俊夫
著者標目: 入沢, 康夫(1931-)<イリザワ, ヤスオ>
分類: NDC6 : 911.56 ; NDLC : KH589

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さどきんざん:佐渡金山

佐渡金山(新潟県佐渡市大字銀山町) マピオンBB地図

rittuS.jpg
 カナーン96の幹部たち。長い髪の後ろ姿は、はて? DJさんでした。 中央元気そうな方は3代目船長、慎重にお札を出す人は2代目船長。

otoko2S.jpg
 カナーン96のおじさん達。左は初代船長にして創始者。右はツオイエさんで4代目船長。

yawaragiS.jpg
 これを写真にしたかったのです。やわらぎ、という神事です。鉱脈発見祝いでしょうか。ここは坑道の中で、写っている人影はすべてロボット、というか操り人形なのです。

 佐渡といえば、松本健一『孤島コンミューン』とか『北一輝』で20代から興味を持っていた。しかしようやく現地を踏んだのは2002年9月だった。その間、浅見探偵の活躍する内田康夫氏の作品などを、胸躍らせて読んでいた。
 だがこの研究旅行は、佐渡金山黄金圧死や、新潟佐渡B寝台殺人とか、尖閣湾のもくずとなる、のために行ったものではなくて、当時新潟市におられた織田某氏による、新潟の図書館見学(?)が目的だった。だから、佐渡金山に図書館を求めたわけではない。
 佐渡は、新潟は、都からは遠かった。なにしろ金沢、富山のまだ向こうなのだ。私は深夜零時京都発のB寝台でぐっすり眠ったが、他の人はそうでもなかったようだ。写真に痕跡を残さなかったが、わが教え子2名はさっさと新幹線で行き帰りだった。
 この佐渡へ、世阿弥が最晩年押し込められたとは、じつに感慨深い。しかし、都から遠望するのでそのような感慨が湧くのであって、佐渡から京都を眺めれば、なにやら寒くて暑い、こせこせした所なのだろう。

namiS.jpg
 これは、尖閣湾上です。この波をみてください。私は、幾度となく、ここへ突き落とされかけて、九死に一生、生還したのです。怖い研究会です(笑)。

参考サイトとして、史跡佐渡金山を上げておく。

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2004年3月17日 (水)

だいかくじ:大覚寺(嵯峨御所)

大覚寺(京都市右京区大沢町) マピオンBB地図

daikakujinaka.JPG ここは大覚寺の中の前庭です。映画「陰陽師・1」の最初の場面はここのはずです。右側に晴明(?かな)、左側に天皇、そういう配置でした。


oosawakita.JPG 大覚寺の東に大澤池がある。この池は大覚寺からの観月が有名です。写真は池の北部で、名古曽の滝がある。


nakosotaki.JPG 名こそ流れて、の名古曽滝あと。数年前に発掘調整されました。

 大覚寺やその傍の大澤池、さらに東の広澤池は、私の庭だった。つまり、幼稚園時代からこの付近に住んでいて、嵯峨野高校に通っていたので、なにくれとなく来ていた。
 だから、格別にことだてて記すこともない。
 しかし、いついっても「佳いなあ」と思う。桜の季節がことによい。あきず年々歳々眺めてきた。つまり、私の庭なのだ。いちいち景色風景に驚愕したり、あるいはげっそりしているようでは、庭とは言えない。
 記すこともないとは言ったが、歴史をひもとけば、すさまじい。嵯峨御所といわれるくらいだから、ここに天皇さんがおられた。しかも、南北朝の激しい時代に。
 今春も、なんども行くつもりだ。写真もビデオも撮る気にならない。だから、庭なのだ。

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2004/03/17 晴

 木幡午前4時半すぎ。今日も葛野へ出かけるが、早朝3時過ぎに目覚め、考えが湧いてきた。

1.ココログの仕様が昨日からあがった。それで、ココログ・プロというのに変更した。7月ころから月額1000円弱かかるのだが(それまでは無料らしい)、高機能なのでやってみることにした。しかし、また忙しくなる。新設定や新機能に頭を使うことになる。

2.JOさんのコメントをいろいろ考え込んで、地図で古墳を見ていたら、いくつか面白いことに気が付いた。

 古墳の向きが気になった。
 JOさんの言うように海に面した高所の古墳や神社は、その地域を圧倒したり、あるいは海や遠隔地からの目印だったのだろう。そして神戸市の明石海峡に近い五色塚古墳は前方部が海に向かい、そこで夜たき火を焚いて踊り狂ったなら、さぞ海からもはっきり見えたことだろう(ただし、古代は夜間航行はなかったと思うが)。

 仁徳天皇陵の向き。
 後円部を軸にすると、仁徳天皇陵は北東を向いている。そして、近くの反正天皇陵、履中天皇陵とも同じ方角である。これらは現在の大阪湾に沿って平行になる。
 ところが、直ぐそばの、御廟山古墳、いたすけ古墳、ニサンザイ古墳は3つとも、東をむいていて、これは大阪湾に直角、つまり大阪湾を睥睨するような位置である。

 応神天皇陵の向き。
 仁徳天皇陵と比較すると、ハの字であり、向きは南(やや南東)で、これも大阪湾には平行と言える。似たものは、西北4キロの大塚山古墳、それと北にある允恭(いんぎょう)天皇陵。
 近辺の、仲津媛命陵、墓山古墳、日本武尊陵は東(やや西北)向きである。唯一、仲哀天皇陵が仁徳天皇陵と同じ向きなのが不思議だ。
 この古市の、仲津媛命(女性の墓なんだろう)陵とか、やや西の大塚山古墳とか、天皇陵とは決まっていないわりには、本当に巨大な古墳である。

 地図の不思議
 上述の、仁徳天皇陵地図を、このままの表示ポイントと縮尺と表示面積で、右端の移動ボタンをおすと? 表示ポイントは正確に応神天皇陵を指示する。縮尺と表示面積の関係によるのだろうが、少なくとも両陵は同一緯度にある。あれだけの前方後円墳を造ったのだから、まあ、それくらいのことは当時、当たり前の技術だったのかもしれない。

 このあたりの学問
 百舌鳥古墳群、古市古墳群、専門書は多数ある。だから、どの古墳が正確にはどなたさんの古墳だったのかとかは、その方にまかせる。しかし、地図をみているだけで、疑問は次々とでてくる。
 私はkt2という方法で文章に表れるキーワードの地図をつくっていろいろ物思ってきた。今朝、古墳をキーにして地図や大きさを考えると、なにかしら、昔の人の思いが伝わってきた。きっと、正確に、大きさ、方角、位置を考えて造ったのだと思う。なりゆき、気まぐれもあったろうが、当時は映画もディスコ(古い!)も、競輪競馬もなかったから、今の人間よりも、物事を丁寧に考えていたような気がする。

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2004年3月16日 (火)

ごしきづかこふん:五色塚古墳

五色塚古墳(兵庫県神戸市垂水区) マピオンBB地図

en30S.jpg 前方部から円頂部への階段
en30S2.jpg 小壺古墳からみた円墳部

hasi50s.jpg
   右手に明石海峡大橋が霞んで見える。前方には淡路島。

  一月ほど前に、神戸に所用があって、そのついでに明石まで足をのばした。目当ては五色塚古墳だった。ここはすでに20年以上も以前から知っていて、来てみたいところだった。
 自動車で2時間もかからないと言うのに、その日が初めてだった。出不精もここまでくると病質と言ってもよかろう。須磨水族館のすぐ先だというのに。
 さて、この古墳のことをよく知っていたわけではなく、五色という名前にときめいていた。実際の被葬者とか時代はまだまだ不明らしい。
 現地では何も考えず、「大きいな。前方後円墳を直に、まともに歩くのか」などと一人で悦に入っていた。
 だれがどうしたとか、どんな由来だとか、歴史的にはなにも解らなかったが、円頂部からみた明石海峡というのか、明石大橋や淡路島は、たしかに当日霞んではいたが、感動が大きかった。古代、このあたりは瀬戸内海の制海権を持つだけの豪族が居たのだろう。戦争から物流、そして海産物まで含めて、枢要の地であったに違いない。

参考サイトはいくつかあったが、二つあげておく。
   神戸市立博物館には五色塚古墳模型がある
   竹中工務店の「遺跡ミュージアム」構想:五色塚には過去多少縁があったようだ。それよりもおもしろい構想ですね。

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2004年3月15日 (月)

いましろづかこふん:今城塚古墳:継体天皇陵

今城塚古墳:継体天皇陵(大阪府高槻市郡家新町) マピオンBB地図

 旧知のJO氏の生家が大阪府の牧野近辺と知らされて意外だった(個人的な記憶間違いからの意外さ)。その話の中で隣が京阪の樟葉、「継体天皇が即位したところですね」とあった。
 継体天皇といえば、ここ何年か高槻市の古墳から大きな埴輪が見付かり、この今城塚古墳こそ真の継体天皇陵であると、新聞に載っていた。高槻市に卒業生も住んでいたので一昨年詳細を聞いたところ、以前から茨木市の「継体天皇陵」と高槻市の「今城塚古墳」とは、お互いに真贋論争じみたものがあったようだ。私はさっそく車で行こうとしたが、171号線がすさまじい停滞で、京都からだと何度行っても右折できずに、そうして方角がわからなくなり、結局挫折したままに終わっている。
 ところで、地図で見てみると、阪急高槻市と京阪牧野とは、川をはさんで直線で4kmしか離れていないことに気が付いた。以前から、阪急と京阪とは全く別の路線と思いこんでいたから、火星行きと金星行きくらいの違いに思っていた。ところがなんのことはない、お互いに対岸を走っていたのだ。そんなことは京都に50数年住んでいるから分かってはいた。しかしそれは知識だった。本気で、樟葉とか牧野が、高槻の眼前にあるとは身体的に分かってはいなかったのだ。
 継体天皇が樟葉で即位し、たしか20年以上止まり、飛鳥、大和に入れずここに宮居していた。そうして亡くなられた後、元宮に近い高槻に埋葬された。これで、話のつじつまが合ったわけである。刑事ではないが、土地鑑がないと、靴をすり切らさないと、本当のことはリアルに味わえないのかも知れない(と、いいつつ、また171号線で右折できなくなる。なんとなく、カフカ世界に似てきた。三輪山物狂いの私を、押しとどめるなにかが、あるのかも知れない)

参考:森本行洋氏サイトには、今城塚古墳、および宮内庁による継体天皇陵・太田茶臼山古墳(茨木市)に関する多数の写真を含めた詳細な記事がある。
今城塚古墳
太田茶臼山古墳(継体天皇陵)

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2004/03/14 晴れ

 今日から木幡研にいるときは、木幡記にしようと思った。日曜祝日や強鬱期は木幡の床に伏せっている。葛野に行くのは仕事と元気な時である。

 今日は日曜、温かい佳き日であった。午後急に思い立って京阪電車にのった。宇治線という。本線に交わる中書島で、京都市内三条に行くか、それとも淀城か大阪方面へ行くか少し迷った。結局、大阪方面にして、降りたのは八幡(やわた)だった。男山の、石清水八幡宮をみることにした。
 ケイブルが往復400円、京阪電車と合わせて940円程度電車賃がかかった。ケイブル途中の男山は本当に八幡の薮知らずだった。
 ケイブルは片道3分間、距離にして400m、高さにして80mほどだったようだ。季節柄なのか、日曜なのに閑散としていた。信心も全国的にうすれてきたようだ。土曜の夜に、信心がうすれた若い女性を次々と殺害する小説を読んだ。西村京太郎さんの十津川警部もので『出雲 神々の殺人』双葉社、800円を土曜の早朝に葛野のセブンイレブンで買ったものだ。出雲とはあまり関係のない内容だったが、石清水八幡宮社殿前で、私も信心がないな、と思った。
 見晴らしがとても良かった。桂川、宇治川、木津川という三つの大きな河川が合流し、淀川になって大阪へ行くようだ。絶景地だった。

 気持よい小旅行だったので、木幡に帰ってから寝てしまった。数時間も寝たので、今夜は眠れそうにない。いまから、【蛇】を書き直すつもりだ。書き直しもすでに2章に入った。そうそう、平凡社の『寺院神社大事典:京都・山城』で石清水八幡宮をみてみたら、16ページも割いてあった。奉幣は伊勢に次ぎ行われていたようだ。ものすごい社格の高さではないか。各時代、将軍さんが訪れた、武家の神さんらしい。
 男山は、南北朝時代だけにとどまらず、戦場に何度もなったようだ。

 ところで神功皇后、応神天皇のことは少し身を引いているところがあるが、宇佐八幡には行ってみたい。なぜ引くか? ようするに倭建命の息子さんの仲哀天皇は、皇后さんとうまくいっていなかったようで、応神さんのててごは、一体だれなのかわからなくなるからである。私は幼児期から倭建命のことばかり考えてきた。なんにせよ、三輪王朝に物狂っているのだから、どうしても八幡(はちまん)さんには身を引いてしまう。だから、無信心だったと、夕方目覚めたときに思った。怖くておみくじもひかなかった。

 何年も前に上賀茂神社で大吉を引いたのを大切に思っている。以後、二度とおみくじを引いたことはない。

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2004年3月14日 (日)

蘇我石川麻呂と皇臣傳

 『皇臣傳』は文学として、保田與重郎の最良のものではない。昭和16年頃に書き継ぎ昭和18年初版初刷。時代性のなかで文体に柔らかさを欠く。私がこの図書を記録したのは保田が八人の者を、保田が文人として選んだ、その見識からである。そうしてこの図書は史上の人物を簡便に知りたいとき、辞書代わりによく使う。しかしながら、私はその文体から、年齢によって吸収するものが異なっていた。簡単にいえば難解。丁寧に言えば晦渋、イロニッシュ、言葉につくせぬものを言葉にしているから、文字だけをみていても分からぬことがあった。年齢とともに受けとり方が変わってきた。
 川村二郎『イロニアの大和』山田寺、を読んでますますその感が深い。なぜ当時、蘇我石川麻呂を保田は選んだのか。それは、大化改新から壬申の乱へいたる国史批判の、保田にとってのスタートであったように思える。つまり保田は石川麻呂を挙げたことで中大兄皇子(天智天皇)、鎌足政権を当初から否定していた。鎌足への評価は功臣だが忠臣ではない、となる。それとともに、中大兄皇子が、石川麻呂惨殺に荷担したことを自覚しなかったはずはない、と断言(韜晦であっても、今の私は断言以外ないととった)している。現在ようやく、硬直した文章の背後に当時の保田の真意らしきものを味わえるようになった。保田與重郎33歳頃の作品。
浅茅原、2004/03/14記

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日本・文学・保田與重郎:皇臣傳/保田與重郎

By NACSIS Webcat -- (BN01561825)

皇臣傳 / 保田與重郎著<コウシンデン>
東京 : 大日本雄弁会講談社, 1943.7
345p ; 19cm
著者標目: 保田, 與重郎(1910生)<ヤスダ, ヨジュウロウ>
分類: NDC6 : 155

目次

例言
蘇我石川麻呂
柿本人麻呂
紀貫之
西行
明恵
楠木正成
伴信友
徳川齊昭

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日本・歴史・古代・邪馬台国:まほろばの歌がきこえる/苅谷俊介

By NDL-OPAC GB163-G168

まほろばの歌がきこえる : 現れた邪馬台国の都/苅谷俊介著
東京:エイチアンドアイ、1999.3
11,296p ; 20cm
ISBN 4-901032-60-7
定価 2000円

全国書誌番号 20018108
個人著者標目 苅谷, 俊介 (1946-) ∥カリヤ,シュンスケ
団体名・地名件名 邪馬台国 ∥ヤマタイコク
NDLC GB163
NDC(9) 210.273
本文の言語コード jpn: 日本語
書誌ID 000002841358

帯情報

卑弥呼が眠る古代宮都の全貌を解き明かす!
三世紀初頭、『魏志』倭人伝に記された邪馬台国の時代、三輪山山麓に広がる纒向(まきむく)遺跡(奈良県桜井市)に、わが国最初の国際的都市が造営されていた!
個性派俳優のアマチュア考古学者苅谷俊介が、十九年間の研究成果を賭けて、古代国家成立の最大の謎に挑む。
≪おもな内容≫
*邪馬台国と卑弥呼のルーツ、弥生大集落「唐古・鍵(からこ かぎ)」の全容。
*太陽祭祀と銅鐸祭祀の大司祭者・日妻巫女(ひめみこ)と“女王”卑弥呼の関係。
*纒向遺跡に造営された“女王”と“大王”の、二つの宮都の痕跡。
*“聖壇”纒向石塚と神々のあいだを結ぶ計算された点と線。
*後漢尺四〇〇歩(571.6メートル)四方の宮都域の設計プラン。
*箸墓(はしはか)古墳に秘められた“女王”卑弥呼の死と邪馬台国終焉の真相。
*箸墓古墳の墳形と被葬者を特定する手がかり。
*邪馬台国と抗争を繰り広げた狗奴国(くなこく)とその男王・卑弥弓呼(ひみくこ)の正体。
*初期大和政権の初代“大王”と「御間城入彦五十瓊殖(みまきいりひこいにえ)」を結ぶ糸。

目次
「葦原中国」の原像―― 弥生大集落「唐古・鍵」から邪馬台国の中枢「纒向」へ
古代の奈良盆地を行く
葦原中国
「葦原中国」の原像 Ⅰ:小地域名・ヤマト
「葦原中国」の原像 Ⅱ:忌詞・聖と俗の名称
「葦原中国」の原像 Ⅲ:唐古・鍵

“日妻巫女”が治めた国―― 銅鐸祭祀の大司祭者から卑弥呼へ
太陽に仕える“日の妻の巫女”
銅鐸の祭りと共同体
何人もいた銅鐸祭祀の司祭者
「国」の成立と日妻巫女体制の確立
消えゆく日妻巫女

倭国大乱と“女王”卑弥呼―― 先ヤマタイ国から邪馬台国へ
六大勢力と大連合体(大国)の形成
二人にしぼられた日妻巫女
朝鮮海峡文化圏のなかの北部九州
倭国大乱
女王「卑弥呼」

太陽祭祀と邪馬台国の“宮都”―― “聖壇”石塚と二つの纒向遺跡
二つの纒向遺跡
埋もれた二つの“宮都”
纒向遺跡の消長:第一期と第二期
第一期纒向遺跡
纒向石塚は墓ではない

計算された神の遷移地―― “聖壇”石塚が秘めた謎
太陽祭祀の場の移動
笠縫部の住地と笠縫邑
“聖壇”石塚前方部が秘めた謎
  Ⅰ:拝入部を有する“円丘”から前方後円形へ
“聖壇”石塚前方部が秘めた謎
  Ⅱ:太陽神宮殿外祭祀の場と笠縫邑
天照大神と大物主神の結婚
計算された神の遷移地

造り変えられた箸墓古墳―― 二つの“入”勢力と邪馬台国の終焉
纒向遺跡の“入”勢力
  Ⅰ:最初の“入”勢力
纒向遺跡の“入”勢力
  Ⅱ:第二の“入”勢力
箸墓古墳 Ⅰ:“円丘”から“前方後円形”へ(立地から)
箸墓古墳 Ⅱ:“円丘”から“前方後円形”へ(墳丘構造から)
箸墓古墳 Ⅲ:“円丘”から“前方後円形”へ(検出された遺物から)
箸墓古墳 Ⅳ:“円丘”から“前方後円形”へ(前方部北端調査)

“宮都”造営 Ⅰ―― 中国の王都と尺度
中国王朝の都市計画と纒向の方画性
纒向に使用された尺度と測量技術

“宮都”造営 Ⅱ―― 山立てと後漢尺で設計された方画都市の出現
第一期纒向遺跡の山立てと地割
初瀬山と巻向山
後漢尺による方画地割と“円丘”石塚

復原・箸墓古墳―― 邪馬台国終焉のモニュメントに秘められた計画
過去の調査と想定地割線の重なり
第一期纒向遺跡の全容と変遷
箸墓築造位置の計画性
被葬者は『魏志』倭人伝の卑弥呼
築造時の墳形は“円丘”

“大王”が造ったヤマトの都―― 台頭する狗奴国と第二期纒向遺跡の造営
司祭者・臺與の運命
第二期纒向遺跡の範囲と箸墓
宮殿造営
中国・江南方面とのつながり

最初の“大王”と初期大和政権―― 狗奴国男王“御間城入彦五十瓊殖”の登場
最初の“大王”――稲荷山鉄剣をめぐって
御間城入彦五十瓊殖(崇神天皇)
「ヤマト」とは何を指したか

あとがき
注釈および出典・参考文献一覧
掲載図版類の出典・参考資料一覧


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日本・文学・川村二郎:イロニアの大和/川村二郎

By NDL-OPAC KG634-H43

イロニアの大和/川村二郎著
東京:講談社∥コウダンシャ、2003.11
269p ; 20cm
ISBN 4-06-212123-9
定価 2500円

全国書誌番号 20531268
個人著者標目 川村, 二郎 (1928-) ∥カワムラ,ジロウ
個人名件名 保田, 与重郎 (1910-1981) ∥ヤスダ,ヨジュウロウ
NDLC KG634
NDC(9) 910.268
本文の言語コード jpn: 日本語
書誌ID 000004298350

帯情報

保田與重郎の大和
保田與重郎をめぐる大和文学紀行。
国のまほろば大和の地に刻まれた、無垢なる魂の悲惨と栄光。
悠久と無常の風土に保田文学の根源をたどる傑作評論。

保田を読み始めた頃は旅を嫌っていた若者が、老境に入って、旅の経験もかなり積み重ねて来たその蓄積の上で、保田の大和を眺めた時どのように見えるか、そのことをたしかめようとしたのがこの本である。いうまでもなく現実にはその土地は行政区画としての奈良県であって、そこにひそむ遠い過去の追想は、所詮幻にすぎぬかもしれない。しかし幻にこそ土地の神髄があると考えれば、現実の相はかえって虚にすぎなくなるともいえる。実にして虚、このイロニーの上に保田の大和は浮かんでいると見た所に表題を置くいわれがあった。----後書より

目次
一 吉野
二 後南朝
三 神器
四 天誅組
五 十津川
六 山処
七 天平
八 山田寺
九 奈良
十 東国
十一 ヘルダーリン
十二 イロニー
十三 ゲーテ
十四 ナポレオン
十五 後鳥羽院
十六 ヤマトタケル
後書



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2004年3月13日 (土)

ふたがみやま:二上山(にじょうさん)

二上山(奈良県北葛城群當麻町) マピオンBB地図 大津皇子墓

 この二上山、大津皇子墓は、決して未踏地ではない。しかし、最後は20代に行ったきりだから30年は経過している。原則として、20年以上再訪していない地図は、「地図の蠱惑:未踏地」と「地図の風景」の両方にカテゴリーを設定する。

 こんなことを断るために記録するのではない。二上山は奈良へ、三輪山へ、飛鳥へ、吉野へ行くたびに必ず眺めてきた。だからいつも行っていたともいえる。
 記憶の重層がはげしく、イメージが乱舞し、一つ一つの階梯を下り深層に行くのが息苦しくなる。皇子大津よ、あなたは雲にのり龍となって虚空に消えたのか。結局はそこへまで行ってしまう。

 折口が『死者の書』で著したイメージは、當麻曼荼羅よりも冒頭の、

「した した した。耳に傳ふやうに來るのは、水の垂れる音か。たゞ凍りつくやうな暗闇の中で、おのづと睫と睫とが離れて來る。」

 こんな情景だった。いつかまた二上山の雄岳に立ち、東に向かい、20キロ彼方の三輪山を見る機会もあるだろう。
 夜麻登志宇流波斯。

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日本・文学・折口信夫:死者の書/折口信夫

By NDL-OPAC KH481-G1

死者の書/折口信夫著

個人著者標目 折口, 信夫 (1887-1953) ∥オリグチ,シノブ
→: 釈, 迢空 (1887-1953) ∥シャクノ,チョウクウ
NDLC KH481
NDC(9) 913.6
本文の言語コード jpn: 日本語
書誌ID[Mu参考] 000002811218

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日本・文学・思想:伝統と現代/篠田一士

By NDL-OPAC 080-G294

(現代人の思想.;第14) 東京:平凡社、1969 408p ; 19cm

伝統と現代/篠田一士編・解説

内容細目 解説
伝統と現代(篠田一士,土岐恒二)
詩と伝統(W.B.イェイッ著 土岐恒二訳)
京あない(保田与重郎)
紫文要領(本居宣長)
ルゥイ十四世時代のラテン詩人の読解について(Ch.A.サント=ブーヴ著 松崎芳隆訳)
伝統と正統について(深瀬基寛)
訳詩小見(会津八一)
『千夜一夜』の翻訳者たち(J.L.ボルヘス著 土岐恒二訳)
ソロモンの歌(吉田秀和)
形而上派の詩人たち(T.S.エリオット著 篠田一士訳)
死者の書(折口信夫)
ダンテ『神曲』地獄篇第八歌(E.サングィネーティ著 平川祐弘訳)
ウィーン(T.W.アドルノ著 川村二郎訳)
隠された太陽(石田英一郎)
『ユリシーズ』と『フィネガンズ・ウェイク』におけるビザンチンとハンガリー文学(A.ファーユ著 沢崎順之助訳)
われ、また、アルカディアにありき(E.パノフスキー著 土岐恒二訳)
参考文献:406-408p

定価 550円

全国書誌番号 74003551
NDLC US1
NDC(6) 080
本文の言語コード jpn: 日本語
書誌ID 000001235821

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2004年3月12日 (金)

いわがみじんじゃ:石上神社(淡路島・舟木)

石上神社(兵庫県津名郡北淡町舟木) マピオンBB地図 (地図ポイントは推定)

 この社は北緯34度32分の線上にあることで、ときめく。
 つまり『知られざる古代』水谷慶一氏の著書で多くの人の心をつかんだ神社であり、そして巨石遺跡である。
 その図書の目次前に見開きで大きな地図があり、北緯34度32分のラインがくっきりと描かれている。伊勢湾神島、斎宮跡、そして三輪山、箸墓とくるだけで物狂おしくなるではないか。その最西が淡路島北淡町、舟木の石神神社である。まさしく、絵に描いたように正確に、古代の神々が神つまります。

 水谷氏は当時NHKでプロデューサーをなさっておられたらしい。この図書だけではなく、調査結果が放映されて、私は確かにそれを見て、日置という言葉を知った。そういうグループが古代あった、・・・というような記憶である。再読すれば明確になるであろう。
 『知られざる古代』は、そのころ、1981年9月の10刷で入手している。もう、20年をとうに越えている。図書は不思議な物だ。で、なぜこの図書を購入したかは、これは明確に言える。小川光三『大和の原像』が原点にあった。二つの図書はリンクされていた。しかし、そのゆくたてを今は上手に話せない。また、後日に。

 ともかく、淡路島のその石上神社に行ってみたい。だが、関門がいくつもある。まむしがおるらしい。女人禁制らしい(これはパス)。思うだに冷や汗がでる。まむしワクチンなんかあるのだろうか。なによりも、場所が分からない。地図で捜してはいるが、不明である。迷うかもしれぬ。

 とてもよいサイトがあった。これは恒久的にアドレスが変わらないことを願う。
 <石上神社の聖石群
 例によって、どのような方が記録されているのか、これもわかりにくい。ただ、記事はとても興味深い。


 

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2004年3月11日 (木)

いしぶたいこふん:石舞台古墳

石舞台古墳(奈良県高市郡明日香村) マピオンBB地図

 小林秀雄に「蘇我馬子の墓」がある。大学浪人中に読んだ。だからそれ以来何度も訪れている。最近は付近が整備されているので、天気がよければ周りの公園を散歩するのに良い。多武峯(とおのみね)の麓にあるという感じがする。事実、道があって山上の談山神社から歩いて降りてくると丁度石舞台である。
 また、何度も何度も出かけていくだろう。単純で、どっしりしていて、大きい。

isibutai_gaikan.jpg 石舞台の外観

isibutai_gen_soto.jpg 石舞台の羨道(玄室への出入り口)

isibutai_gen_naka.jpg 石舞台の内部

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飛鳥浄御原宮跡:明日香村飛鳥京跡第151次調査

 橿考研サイトに、明日香村飛鳥京跡第151次調査 現地説明会資料(2004年3月13日) が掲載されていました。

 新聞タイトルと研究タイトルとは異なるようです。つまりクールに、飛鳥京跡第151次調査としか表面には出ておりません。もちろん、資料には浄御原宮という用語はありました。ネット情報を探すのにも、いろいろな手練が必要ですね。この場合は、橿原考古学研究所がキーでした。もう一つは、3月13日現地説明会とあったからです。
 このあたりは専門家ないし、近くに住む郷土史家でないと、何を掘って何がでたのかは、わかりにくいですね。

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日本・歴史・古代:知られざる古代/水谷慶一

By NDL-OPAC GB161-176

知られざる古代 : 謎の北緯三四度三二分をゆく/水谷慶一著
東京 :日本放送出版協会、1980.2
324p ; 20cm
参考文献:p321
定価 1300円

全国書誌番号 80015596
個人著者標目 水谷, 慶一 (1932-) ‖ミズタニ,ケイイチ
普通件名 日本 -- 歴史 -- 古代 ‖ニホン -- レキシ -- コダイ
→: 日本 -- 歴史 -- 大和時代 ‖ニホン -- レキシ -- ヤマトジダイ
→: 日本 -- 歴史 -- 大化改新時代 ‖ニホン -- レキシ -- タイカノカイシンジダイ
→: 日本 -- 歴史 -- 奈良時代 ‖ニホン -- レキシ -- ナラジダイ
→: 日本 -- 歴史 -- 平安時代 ‖ニホン -- レキシ -- ヘイアンジダイ
NDLCGB161
NDC(8) 210.3
本文の言語コード jpn: 日本語
書誌ID 000001446160

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JOさんのblog

2004年3月11日の午後に、JOさんから連絡がありまして、さっそく記事にコメントをつけて、その上トラックバック処理までしました。
JOさんの写真や、上賀茂神社大凶おみくじ話や、突厥や邪馬台国話や、鹿のふんを眺めながら茶店でうどんを食べた話や。
どうしても梅安さんがからんでくるんですけど、おいおいしるしていきます。
バックトラック先の記事には「残りの人生」とかなんとか湿っぽい言葉もありましたが、まだまだ指南車流社社長、再考(ママ)顧問としてガンバって下さい。
おりおりに読みますから楽しい記事、とくに戎の野蛮な関東の話など、お聞かせ下さい。

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日本・歴史・古代:神々と天皇の間/鳥越憲三郎

By NDL-OPAC  GB163-8

神々と天皇の間 : 大和朝廷成立の前夜/鳥越憲三郎著
東京:朝日新聞社、1970
312p ; 20cm
定価 650円

全国書誌番号 73002817
個人著者標目 鳥越, 憲三郎 (1914-) ∥トリゴエ,ケンザブロウ
普通件名 日本 -- 歴史 -- 古代 ∥ニホン -- レキシ -- コダイ
→: 日本 -- 歴史 -- 大和時代 ∥ニホン -- レキシ -- ヤマトジダイ
→: 日本 -- 歴史 -- 大化改新時代 ∥ニホン -- レキシ -- タイカノカイシンジダイ
→: 日本 -- 歴史 -- 奈良時代 ∥ニホン -- レキシ -- ナラジダイ
→: 日本 -- 歴史 -- 平安時代 ∥ニホン -- レキシ -- ヘイアンジダイ
普通件名 天皇制 ∥テンノウセイ
NDLC GB163
NDC(6) 210.3
本文の言語コード jpn: 日本語
書誌ID 000001211788

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みわやま:三輪山

三輪山(奈良県桜井市) マピオンBB地図

 秀麗な神山。
 幾度訪れたか分からないくらいである。ただ記憶での最初は19歳ころ、住んでいた京都市右京区嵯峨から50ccのバイクで通ったことを思い出す。
 三輪山にもっとも興味を持ったのは、京都大学数理解析研究所図書室に勤務していたころ、梅田のビルでSCI(サイエンス・サイテーション・インデックス:科学分野の引用関係索引)の研修があって、その帰りに梅田・紀伊国屋書店でふと手にした、小川光三氏の『大和の原像』を読んでからかも知れない。
 いや、そうではない。その本からは激しい衝撃をうけたが、もっと以前に大学在学中に雑誌・新潮で三島由紀夫の『奔馬』(豊饒の海、第二巻)を読んで、私の心象にオーラに揺らめく三輪山が現れた。

 三輪山については、永遠に語り継ぐ気がするので、これくらいにしておこう。

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日本・歴史・古代:大和の原像/小川光三

By NDL-OPAC GB165-16

大和の原像 : 古代祭祀と崇神王朝/小川光三著
東京:大和書房、1973
232p 図 ; 20cm

全国書誌番号 73010140
個人著者標目 小川, 光三 (1928-) ∥オガワ,コウゾウ
普通件名 日本 -- 歴史 -- 大和時代 ∥ニホン -- レキシ -- ヤマトジダイ
→: 日本 -- 歴史 -- 古代 ∥ニホン -- レキシ -- コダイ
→: 日本 -- 歴史 -- 飛鳥時代 ∥ニホン -- レキシ -- アスカジダイ
NDLC GB165
NDC(6) 210.32
本文の言語コード jpn: 日本語
書誌ID 000001219111

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ちくぶじま:竹生島

竹生島(滋賀県東浅井郡びわ町) マピオンBB地図

 琵琶湖の中に浮かぶ竹生島弁財天というイメージが小学生のころからずっとあります。
 ラジオで聞いていた新諸国物語、音楽は福田蘭童が記憶に焼き付いているのです。
 作者は、北村寿夫(きたむら としお)さん。
 しかしGoogleで「新諸国物語」をみてみると、笛吹童子、紅孔雀、オテナの塔、といくつもの映画がリストされて、私がラジオでひっきりなしに聞いた「ちくぶじま べんざいてん ・・・」がどれだったのか思い出せません。
 そうして、てっきり文庫化された小説としてあると思っていたのですが、それも見付かりませんでした。

 こうして、竹生島弁財天は私の記憶の中にとどまったままです。
 近いところだから行きたいのですが、船にのるのが長浜か、彦根か、あるいは琵琶湖東岸の今津なのか判断がつかず。また長大な階段があって、これも出不精に拍車をかけます。
 ・・・と、行きたくて行っていない場所に対しては、大抵いろいろな屁理屈をこねるものです。
 今年も、春になれば行くぞ、とおもって記しておきました。

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2004年3月10日 (水)

らくししゃ:落柿舎

落柿舎(京都市右京区) マピオンBB地図

 京都嵯峨野の落柿舎は、小学生のころから付近に虫取りに行っていた。
 落柿舎を強く意識し出したのは高校生の頃である。
 嵯峨野高校卒業前の大晦日に保田與重郎『現代畸人傳』を読んで、当時の庵主、工藤芝蘭子という俳人について知ったからである。
 工藤さんは昔、大阪堂島の相場師だったらしい。好々爺に見えたがお若い頃は激しい人生だったのだろう。私はその後、高校を卒業して大学浪人していたころ、何度も落柿舎へ遊びにいってお世話になった。
 この頃の落柿舎のことは、どなたかの小説になったことを後で知って購入した。手元にはないが、捜せば出てくると思う。たしかそこにおられた年配の女性の文学に関わることだったように覚えている。その女性は当時京都で「十鬼会」という職業作家の同人を営まれていた。その関係で、私はその人にもお世話になった。名作「銀の匙」をすすめられて読んだ覚えがある。
 落柿舎のことがどなたかの小説でどんな風に描かれたのかは、よく覚えていない。工藤さんたちが、落柿舎を去った理由のことなどがあったのだろうか。
 古い話だが、書いているとだんだん思い出してきた。しかし、これくらいにしておこう。
 結局、私自身が工藤さんとどんな話をしていたかとか、十鬼会に数回だけ顔をだしたか、とかは、まだ上手に書けない。

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2004年3月 9日 (火)

飛鳥浄御原宮・正殿

 新聞情報では、飛鳥浄御原宮・飛鳥京跡が発掘され、天武天皇の住んでいたところらしいとあった。
(ニュースは2004/03/08にあり、天皇居所というのは9日火曜の産経新聞で見た)
飛鳥浄御原宮がどういうところで、どこにあるかを確かな所でリンクしておく。
   飛鳥資料館による「飛鳥浄御原宮伝承地」写真
   飛鳥資料館による「飛鳥板蓋宮伝承地」写真  
   マピオンによる地図:飛鳥浄御原宮・飛鳥京跡  

(この記事を数時間前に投稿したときは誤認があった。現在飛鳥板蓋宮跡といわれる場所が4層構造であり、下層から「飛鳥岡本宮」→「飛鳥板蓋宮」→「飛鳥浄御原宮」→「後飛鳥岡本宮」となっているらしい。これをまとめて、飛鳥京跡(あすかきょうせき)と呼ぶようだ)

 新聞ニュースはリンク先が消えるのと、著作権問題があるので、直接掲載はさける。

 読売新聞では、発表元が奈良県立橿原考古学研究所となっているので、今後はこのサイトが確かな情報源になっていくのだろう。
   橿原考古学研究所   

 検索エンジンでは「飛鳥京跡」&「浄御原」&「天武天皇」程度で今後もいけると思う。

 以上の他、まとまった記事はしばらくすればネットメディアに現れるはずである。
 私がこれに興味があるのは、天武天皇の名目上の母親は斉明天皇であり、斉明天皇は酒船石に関係が直結する。そして、天武天皇の兄は天智天皇となっているが、このあたりになってくるとトンデモ領域をかすってくる。
 トンデモ近接領域話としては「隠された帝(みかど)/井沢元彦.祥伝社 ISBN4-396-20488-4」
さらに、小林恵子氏の作品がある。
 これらの詳細は後日まとめてみたい。井沢氏の論では、天智天皇の墓は宇治、木幡にあるとのことであり、この作品はとてもおもしろかった。いつも井沢氏の歴史小説を読むと、遠くを見つめてしまう。ところで木幡とは、私の住まいする地である。
 小林恵子氏については聖徳太子が突厥のタルドゥ以来、天武天皇がどうだったかも読んでみた。まだ気持ちが落ち着かないので後日にまとめてみる。
 で、ここで壬申の乱に話を持っていきたいのではなくて、その天智天皇とは血縁が曖昧な天武天皇が住まいしていたかもしれない宮殿が発掘されたのだから、気になって記録を残した。

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2004年3月 8日 (月)

NDKの新ブログ・サイト

2004年3月7日夜半から8日にかけて、フレームN氏がNDKのブログ・サイトを公開してくれた。
座長の伊井春樹教授(源氏物語の研究で多大な業績をお持ち)が3月で大阪大学を退官されるからである。
私のこの源氏物語研究会への関わりはすでに18年に及ぶ。古典文学は専門としても趣味としても関わりが薄いはずなのに、時がたってしまった。
この間、主に自然言語処理、もっとわかりやすく言うと、古典のコンピュータ処理のことでいろいろ関係してきた。
今回新しいBlogとして仮想NDKに衣替えしたので、今後はネットワーク上での記録と知識という面からNDKに関わろうと考えている。
その点、Blogは単なる日記でもあるが、実は双方向性リンクを持ち、そして記録の一つ一つにURLを自動付与されること、XML形式が基本にそなわっていることなど、現在の技術がまとめられている。
だから、新しい意味付きリンクを縦横に仮想世界に張る試みに耐えるものとなろう。
NDKを軸にして、そういうことを考え、実験していきたい。

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チャイナ「梅の花」と惜別

今日は、予定通り阪大文学部伊井教授室に全員が集まりました。
東京からは鉄ちゃん。
地元からはフレームNと、村おこし中年。
そして、かつての「さすらいのプログラマー」こと、Mu。
教授の退官を前にして、思い出話は、18年におよび、つきませんでした。
フレームNや村おこし中年は、20代だったのです。

それから、内緒話も一杯しました。
@ナイショ1:人事(3月ともなれば、どこでも)
@ナイショ2:NDKの壮大な、もう、誇大妄想に近い新たな目標設定。
@2004年3月7日をもって、フレームNを中心にNDK拠点をBlogに定める。
@フレームN氏が、未確認情報では3月に、
 なんとなく(笑)文学・博士になりそうとか。(おめでとう)

そのあと、村おこし中年の「あうでぃ」とかいう外車
(輸入車と呼べ、と言われるが)
で、いまだにイノシシが路上をさまよう千里中央にくりだした。

チャイナ「梅の花」は上等でした。すっきりしたチャイナでした。
いくらでも食がすすむ。

明日は、また私は烏丸の梅の花です。明日こそ豆腐と湯葉で私は、
精進男に変身するのではないでしょうか。

さて、夜が更けてきました。眠ります。

追伸
  創設記念日
    NDK新Blog
    Mu新Blog
      2004年3月7日でした

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2004年3月 7日 (日)

第二回葛野図書倶楽部2001送別会

早いもので、この倶楽部ができてからもう、やっと3年になります。
第一回送別会は、2003年3月に、京都伏見の「鳥せい」でした。
そして、今回はそのご近所の黄桜「かっぱ天国」で無事(でもなかった)
執り行いました。2004年3月5日(金)でした。
と、確認を要するくらいに、私、にごり酒に酔ってしまって、
食べることも、おしゃべりもしないままにひたすら横臥。
知らない間にタクシーに押し込められて、寝てしまいましたとさ。
さてメモ
 卒業生職種:教員、秘書2名、システム、司書、薬種、不明(ミステリー作家との噂もあり)
 在校生希望職種:海の物とも山の物とも分からない、全部卵です。

みんな、お元気で。さいなら。
在校生さん、よろしく。また来年も。

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2004年の新船長:Fマリ

カナーン96は1996年結成ですから、もう8年になりますね。
歴代船長は、
  橋本顧問、
  ODAピョン、
  リッツ嬢(永世厨房士)
  ツオイエ
そして、2004年4月からは、亀岡のFマリです。
さて月末はツオイエ最後の船長職です。
みんなどんなエントリーを出してくるのでしょう。
私は、パソコン使って文系論文統合作成システム、でしょうか。
(ちょっと、古いですね)

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チャイナ「梅の花」

今日は午後に、大阪大学(豊中)の文学部へ行ってきます。
NDK(源氏物語研究会ですね)では、座長の伊井春樹先生が
この3月で退官されます。
私はフレームN氏の依頼で「讃岐」のなんちゃら日記を、秘伝の
ソフトで自動文法解析して、持って行きます。
夜はタイトルの某所「チャイナ梅の花」で夕食会です。
実は明日月曜に私の所の送別会が京都某所の「梅の花」なんです。
数日前にフレームN氏に「なんとかしてよねぇ」と、二晩も豆腐や
湯葉を食べられないとごねたのです。そしたら、フレーム君、賢い人ですね。
「じゃ、チャイニーズで行きましょう!」
と、いうわけでした。

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森博嗣『四季』愛蔵版

やっと入手しました。2004年3月5(金曜)でした。
ずっしりと重くて、3800円の値打ちがありますね。
装幀、ページのデザインがよいので、読むのがもったいないです。
ひょっとして読まないまま飾っておくのかもしれません。
豆本がプレゼントされるようですが、帯にシールがあります。
書店で帯だけが盗まれるなんて珍事が発生しないことを祈ります。

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