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2004年3月17日 (水)

2004/03/17 晴

 木幡午前4時半すぎ。今日も葛野へ出かけるが、早朝3時過ぎに目覚め、考えが湧いてきた。

1.ココログの仕様が昨日からあがった。それで、ココログ・プロというのに変更した。7月ころから月額1000円弱かかるのだが(それまでは無料らしい)、高機能なのでやってみることにした。しかし、また忙しくなる。新設定や新機能に頭を使うことになる。

2.JOさんのコメントをいろいろ考え込んで、地図で古墳を見ていたら、いくつか面白いことに気が付いた。

 古墳の向きが気になった。
 JOさんの言うように海に面した高所の古墳や神社は、その地域を圧倒したり、あるいは海や遠隔地からの目印だったのだろう。そして神戸市の明石海峡に近い五色塚古墳は前方部が海に向かい、そこで夜たき火を焚いて踊り狂ったなら、さぞ海からもはっきり見えたことだろう(ただし、古代は夜間航行はなかったと思うが)。

 仁徳天皇陵の向き。
 後円部を軸にすると、仁徳天皇陵は北東を向いている。そして、近くの反正天皇陵、履中天皇陵とも同じ方角である。これらは現在の大阪湾に沿って平行になる。
 ところが、直ぐそばの、御廟山古墳、いたすけ古墳、ニサンザイ古墳は3つとも、東をむいていて、これは大阪湾に直角、つまり大阪湾を睥睨するような位置である。

 応神天皇陵の向き。
 仁徳天皇陵と比較すると、ハの字であり、向きは南(やや南東)で、これも大阪湾には平行と言える。似たものは、西北4キロの大塚山古墳、それと北にある允恭(いんぎょう)天皇陵。
 近辺の、仲津媛命陵、墓山古墳、日本武尊陵は東(やや西北)向きである。唯一、仲哀天皇陵が仁徳天皇陵と同じ向きなのが不思議だ。
 この古市の、仲津媛命(女性の墓なんだろう)陵とか、やや西の大塚山古墳とか、天皇陵とは決まっていないわりには、本当に巨大な古墳である。

 地図の不思議
 上述の、仁徳天皇陵地図を、このままの表示ポイントと縮尺と表示面積で、右端の移動ボタンをおすと? 表示ポイントは正確に応神天皇陵を指示する。縮尺と表示面積の関係によるのだろうが、少なくとも両陵は同一緯度にある。あれだけの前方後円墳を造ったのだから、まあ、それくらいのことは当時、当たり前の技術だったのかもしれない。

 このあたりの学問
 百舌鳥古墳群、古市古墳群、専門書は多数ある。だから、どの古墳が正確にはどなたさんの古墳だったのかとかは、その方にまかせる。しかし、地図をみているだけで、疑問は次々とでてくる。
 私はkt2という方法で文章に表れるキーワードの地図をつくっていろいろ物思ってきた。今朝、古墳をキーにして地図や大きさを考えると、なにかしら、昔の人の思いが伝わってきた。きっと、正確に、大きさ、方角、位置を考えて造ったのだと思う。なりゆき、気まぐれもあったろうが、当時は映画もディスコ(古い!)も、競輪競馬もなかったから、今の人間よりも、物事を丁寧に考えていたような気がする。

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