カテゴリー「001犬王舞う」の9件の記事

2006年4月 1日 (土)

小説『犬王舞う』の定稿にこと寄せて

連載を終えて
 この三月末に長編小説『犬王舞う』の連載を終えて、これをblog「犬王舞う/浅茅原竹毘古」として公開しました。
 若干、この完成までの道のりを記しておきます。

 初稿は『犬王』として、平成十二(2000)春ころから起稿し、翌年一月に完成しました。原稿用紙で546枚でした。改稿は『犬王舞う』として、平成十四(2002)の六月に丁度600枚の作品に変わりました。それからずっと、犬王は置いたままにして、後述する第二作『蛇神』を書いていたのです。

 昨年の夏、突然思い立ちまして、処女作とも言える『犬王舞う』をblogに載せて世界に公開しようと考えたのです。こういうきっかけはよくわかりません。大抵、深夜突然起きあがり、激情にかられて断髪したり、場面転換を図るというのが、これまでの人生でしたから、blog化したのもその一つだったのでしょう。

 小説のblog化については未経験なので、その道の若い人に相談し、考えた上、結局携帯電話でもPCでも閲覧できるシステムを使うことにしました。そこで、先年(2005)の九月からauのサービスを使って連載を始めたのです。大体一回に5~6枚の掲載でした。そのうち、文字が小さく読みにくさもあったので節単位の累積版を考え、未公開なままMuBlogの亜種としてまとめてきました。
 こんど終わって数えてみると原稿で561枚になっていました。先述の改稿分はあれこれと600数十枚に膨れていましたから、60枚ほど刈り取り削除したことになります。これを『犬王舞う』定稿2006としました。

小説を書き出したきっかけ
 『犬王』を書き出したきっかけは、前世紀末に学生達が森博嗣さんや京極夏彦さん、その他ありとあらゆるミステリを読んでいたそばにいたので、なんとなく染まりだしたわけです。私自身もそれまでも今も、横溝正史さん、内田康夫さん世界に遊んでいた経験があったので、あっけなく斬新な、新時代のミステリにひたりこんでしまいました。

 ですがおもしろいからと言って、書き出せるはずはなく、その前史がありました。24歳ころに『夜麻登志宇流波斯』という、今から思うととても小難しい長編小説を作りました。これはミステリではなくて、なんというか実験的な気むずかしいものでした。それは30歳ころに縁あって刊行されました。
 さりながら手元には一冊しか残っておりません。国立国会図書館には納本されたので、残っているかも知れませんが。

 さらにその前史はというと。もう、覚えておりません。もともと科学少年でしたから、考えてみると人生は不思議な紆余曲折を経るものだと思うところです。小学校の頃には、上皿天秤で薬品を量り、ビーカーに入れて攪拌し、出来合をながめていた、化学少年でもあったのですから。

肝心の『犬王舞う』の内容
 これはですね。やはりネタバレになりますから黙っておきます。ひごろ、よそさまの作品をあっけなくネタバレ話して、ひんしゅくをかう私でも、さすがに自作となると、恥ずかしくてなにも言えなくなってしまいます。
 いつぞや、ミステリ好きの人達の中で、何の気無しに、某有名著名な作品の結末を、ぽろっと話したところ、座が一瞬零下・絶対温度に下がったことがありました。眼前の方が丁度、読むところだったようなのです。
 もちろん、軽蔑の嵐、ふくろだたきにあいました。

 ところで~。
 つまりこの『犬王舞う』は、二十歳半ばの聡明で異能を秘めた若き小泉佐保、大学図書館司書の冒険譚なのです。
 昔のアメリカ映画を見ますと、往時の女性司書という仕事は、尼さんと同じ、一種の世捨て人扱いされていたようです。どういう意味で世捨て人かというと、往時の感覚では、女性司書は修道尼と同じ、結婚なさらない方が多かったらしく、一種変わったタイプとして描かれていたのですね。

 さて現代の図書館司書はどうなんでしょう。
 よくわかりません。
 わからないながらもそう言った、司書という職業に関係した、まるで起こりそうな「事件」をもとに書いてみたつもりです。
 もちろん、現役司書の目に触れると、ネタバレふくろだたきどころじゃないかもしれませんが、まあ「小説」というかフィクションとは、そう言う物だと割り切りましょう。

【小説関連サイト】の説明
 この四月上旬からいくつかのblogを開設しました。わかりにくいところもあるので、解説いたします。
 どのblogのサイドバーリストにもあげた【小説関連サイト】のことです。
   (ただし、「携帯&PC」からはauone社の方針に従って、リンクを設定しておりません。)

  000 MuBlog
  001 連載中・携帯&PC
  010 犬王舞う/浅茅原竹毘古
  020 蛇神祭祀/浅茅原竹毘古

・001 連載中・携帯&PC
 これは第二作『蛇神祭祀』(はむかみ・さいし)を四月上旬から新規に、毎週、火木土日、連載していきます。
   (このblogの底にある古い記事は『犬王舞う』です。)
 特徴は、携帯電話で読めることです。もちろんPCでも読むことが出来ます。
 さらに、一番新しいものが読めることです。
 通勤の友にどうぞ。

・010 犬王舞う/浅茅原竹毘古
 これは、『犬王舞う』定稿2006の保存版です。
 まとめてお読み下さい。

・020 蛇神祭祀/浅茅原竹毘古
 これは、「001 連載中・携帯&PC」に掲載した連載分を、節単位でまとめて、累積保存している所です。
 今秋には、このblogが『蛇神祭祀』定稿2006になる予定です。
 目次も整えていきますから、一週間に一回程度、御覧ください。

今後の予定
 この四月(2006)上旬から『蛇神祭祀』(はむかみ・さいし)を掲載し、初秋にはなんとか完成させるつもりです。
 そのあとは、年末年始にかけて、佐保の冒険、その3「巨石の森」を連載開始予定しております。
 そのあとは~、まあ佐保冒険シリーズでは、その4、その5、まで考えておりますがぁ。
 どうなんでしょうね(笑)。
 どうぞ、MuBlog同様、おひきたてくださいませ。

メルアドレス<小説関連>
 ご用の方は、プロフィールに記したアドレスをお使い下さい。
 
    平成18年4月1(土)
    浅茅原竹毘古(Mu) 識

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2004年5月 2日 (日)

学生能と河村能舞台

河村能舞台(京都市上京区柳図子町)MSN地図

西王母:学生能
 大学関係者の方で観世流河村社中の縁者Mさんがおられて、年に二回ほど能クラブから案内が来る。学生達はMさんから毎週手ほどきをうけているようだ。また、Mさんの兄上K先生には芸能史の講義を毎年お願いしている。K先生は観世流の能楽師である。私が数年前の元旦早朝に下鴨神社へ参って、謡曲を聴き、目にしたのはそういう経緯がある。(K先生と面識はほとんどない)
 さて、写真はそれより数年前に、同志社大学の近くにある河村能舞台で撮したもので、「西王母」と聞いた。豪華な能衣装と面を付けているのは、私の大学の学生である。

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2004年4月27日 (火)

しもがもじんじゃ:下鴨神社元旦神事芸能

下鴨神社橋殿(京都市左京区下鴨泉川町)マピオンBB地図

下鴨神社の橋殿
 下鴨神社では例年元旦早朝に「謡曲」がみられる。6名前後の裃姿の方々が座し、両手を膝にのせて一斉に謡う。心地よい。お一人がしずしずと扇を右手に差しだし謡いながら、舞台中央で舞う。観た歳は男性ばかりだった。
 由来も演目もわからぬままに、ただ観世流河村社中とだけ知っていた。
 謡曲と能との関係は、そういうことを御存知の方が数名いるので後日伺うにして、能衣装なしで謡い舞うと思っていた。その通りだったが。それよりも、男性の声が一斉に闇に響く、それが耳に残っている。

 元旦早朝は、実に凍えるほどに寒い。
 だから、これは神事だと思った。
 浄闇。冷気。清浄。
 これらが、芸能によって、神様と、人の心を励起させるのだろう。

参考サイト。
  下鴨神社
  下鴨神社橋殿

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2004年4月20日 (火)

しらかわ・たつみばし:白川辰巳橋

白川辰巳橋(京都府京都市東山区清本町)マピオンBB地図

白川辰巳橋のテンテン
 都の街にくりだすことはそれほどないのですが、昼とか夕方にぶらりと歩くとき、この白川あたりに行ってみます。地図で言うと、四条通りの、たしか「茜屋」で北にはいり、「権兵衛」で道の正しさを知り、「やげん堀」をみると、ああたしかにここでした、と安心してきました。つまり「切り通し」といわれている道を四条から少し北に上がるだけでよかったのです。30年以前から、そこらがあいまいもことしていたようです。だから歩くと言っても、せいぜい1年間に2回程度だったんでしょう。
 自分でこの地図を確認しましたら、随分分かりやすくなって、以後毎晩出歩くかも知れません。本当に、人間の行為行動の原因なんて、たわいないものです。
 なお、この地図ポイントのあたり、白川通りの川沿いなどは、夕方以降、京の街の風情としても、最良に位置するところです。

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2004年4月16日 (金)

たからがいけ:宝ヶ池の比叡山

宝ヶ池(京都府京都市左京区松ケ崎北裏町)マピオンBB地図
 宝ヶ池というと真っ先に思い出すのは、学生時代に、夜中このあたりの友人の下宿へオートバイで日参したことである。場所は、上記地図指定地の北西約800メートルあたりのアパートだった。(乗馬クラブ近辺)
 彼は飛騨高山からきた芸術家だった。私が最初の長編小説を五冊の冊子体で自費出版した際に、その第一冊目に栞を造ってくれた。彼が倉敷の大原美術館横、エルグレコで珈琲を飲みながら考えた文章だった。彼がたむろしていたのは、銀閣寺横のノアノアだった。エルグレコも、ノアノアも古き佳き建物の風情があった。人間はどこに行っても、自分の好きな場所を見つけられるのだろう。
 高山自体がそういう土地に思えてきた。
 卒業して、連絡をとりたくて、高山の実家に手紙を送ったら、宛先不明で帰ってきた。東京で、占い師をしているのをみかけたとか、耳にも入ったが、以後生死不明。一期一会だったのか。
 下宿にいくと、必ずベーコンエッグと珈琲とを出してくれた。
 私よりも数歳年下だったはずだ。
 名は、忘れた。溝上某だったと、おぼろに浮かぶ。

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2004年4月15日 (木)

きょうとえき:京都駅の雑踏

京都駅の雑踏(京都府京都市下京区東塩小路)マピオンBB地図
 京都駅は京都の中でも気に入りの場所だ。雑踏恐怖・忌避症なのによく歩く。ターミナルだから通過点に過ぎなくなるのが普通だが、この建物が気に入っている。
 これが完成するまでは、河原町御池角のホテルとおなじく、景観論争でたいそうもめた。古くは駅前の京都タワーのときもそうだった。
 こういう場合、いつも景観を気にしている割には、大抵建てる方に肩を持っている。考えてみると「建てるまで、景観がどうなるかわからない」→「新しい建物、新しい空間をみてみたい」→「建てたら、よろし」となる。識者のように、計画的都市とか、そういう気持はあまりわかない。
 だから、フランスの首相の「言葉かけ」で、鴨川の三条と四条との間に橋を架ける話が持ち上がったとき、随分期待した。しかし京都の一部の人や、インテリの多くが大反対して潰えた。いまでも残念に思っている。

 (思い出すと、京都をフランスに売るのか、とか。パリに日本風の橋を造るといったらパリジャンはどう思う、とか。いろいろあったようだ。だが、私は前者には「もともと唐風が多い日本だから」、後者には「貴重な日本は、京都にきて観なさい」と、呟いていた)

 自然は好きだ。伝統も好きだ。京の都や、奈良京、大津京、宇治の別荘(古き藤原さんの)も大切だ。しかし、それ以上に新しいものが好きで、見てみたい。
 もちろん極端な新空間には反対するだろう。例えば京都御苑の真横に、高層歓楽ビルを建てるなら、それは昔の足利家と同じく、やりすぎだろう。見たくはない。せっかく古式を保つよい建物があるのに、それを破壊して安物をつくるのも気に入らない。
 しかし人の少ない河原町御池に高層ビルとか、はずれなのに人が使う京都駅を立派にするとか、鴨川で遮られ閑散とした川端と、人の多い先斗町とに橋架けするのは、よいではないか。それが私の「日本の橋」。
 景観論争を突き詰めていくと、人は住めなくなる。ほとんど気に入らない。だから、気に入りの京都駅を記録した。

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2004年4月14日 (水)

うじ・びょうどういん:宇治平等院

宇治平等院(京都府宇治市宇治)マピオンBB地図
 宇治市にはいくつもの歴史的な、そして比較的見応えのある建物や、景観があります。
 源氏物語の町、宇治十帖。平等院鳳凰堂。宇治上神社。宇治橋。ざっと挙げるだけでも、それぞれが面白いです。
 宇治市は観光に力を入れています。京都市や奈良市ほどの、人の訪れはないのですが、遊歩道や手洗いの整備、休憩所などよくできています。
 写真は、2001年1月1日のもの、つまり21世紀の最初の日の写真です。宇治平等院も、源氏物語ミュージアムも、京阪電車宇治線も、1月1日は開いています。

参考サイト:宇治市観光協会公式HP

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2004年4月 1日 (木)

春の古墳

春の古墳
 この無名(か、どうかわかりません)の古墳は、地図で見ると大覚寺の大澤池と、広澤池の半ばにあります(京都市右京区北嵯峨)。私が小学校の時、ロウソクとロープを肩にかけて歩いていると、このあたりの年長の少年(中学生?)に見とがめられて「穴に入る気やろ。あかへんで。入ったら、死ぬ」と、脅かされて帰った記憶があるのです。縦穴か横穴かさえ覚えていませんが、実は、あははは、その数日前に入り口は覗いていたのです。で、ロープとロウソクを用意したわけですが、まあ、探検は失敗しました。
 マピオンBB地図でも正確に指示できませんが、このあたりです。写真は今日の午後のものです(2004/04/01)。

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2004年3月17日 (水)

だいかくじ:大覚寺(嵯峨御所)

大覚寺(京都市右京区大沢町) マピオンBB地図

daikakujinaka.JPG ここは大覚寺の中の前庭です。映画「陰陽師・1」の最初の場面はここのはずです。右側に晴明(?かな)、左側に天皇、そういう配置でした。


oosawakita.JPG 大覚寺の東に大澤池がある。この池は大覚寺からの観月が有名です。写真は池の北部で、名古曽の滝がある。


nakosotaki.JPG 名こそ流れて、の名古曽滝あと。数年前に発掘調整されました。

 大覚寺やその傍の大澤池、さらに東の広澤池は、私の庭だった。つまり、幼稚園時代からこの付近に住んでいて、嵯峨野高校に通っていたので、なにくれとなく来ていた。
 だから、格別にことだてて記すこともない。
 しかし、いついっても「佳いなあ」と思う。桜の季節がことによい。あきず年々歳々眺めてきた。つまり、私の庭なのだ。いちいち景色風景に驚愕したり、あるいはげっそりしているようでは、庭とは言えない。
 記すこともないとは言ったが、歴史をひもとけば、すさまじい。嵯峨御所といわれるくらいだから、ここに天皇さんがおられた。しかも、南北朝の激しい時代に。
 今春も、なんども行くつもりだ。写真もビデオも撮る気にならない。だから、庭なのだ。

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