2012年5月20日 (日)

NHK平清盛(20)前夜の決断:後白河と清盛

承前:NHK平清盛(19)鳥羽院の遺言:誰もが大将の悲劇
NHK大河ドラマ公式あらすじ

復習:保元の乱
 保元乱(1156)と平治乱(1160)とは、MuBlogでも何度か記したが、なかなか複雑な戦だった。Muも半世紀も前に、日本史の大学入試では、このあたりのことをしっかり頭にたたき込んだが、すぐに忘れる。要するに、保元乱では平清盛と源義朝が味方勝ち組になって、平治の乱では平氏が源氏を打ち負かした、ということだ。
 そこで復習を再度重ねて、以前のメモを掲載する。

A:天皇家
  ○後白河天皇(松田翔太)+信西入道(阿部サダヲ)+美福門院藤原得子(なりこ)(松雪泰子)
  ●崇徳上皇(井浦新ARATA)→讃岐で憤死。
   注記:日本三大怨霊のお一人。菅原道真(天満宮)、平将門(神田明神)、崇徳上皇(白峯)のお三人。
B:摂関家
  ○藤原忠通(堀部圭亮)
  ●藤原頼長(山本耕史)
C:平氏
  ○平清盛(松山ケンイチ)
  ●平忠正(豊原功補)
D:源氏
  ○源義朝(玉木宏)
  ●源為義(小日向文世)+源為朝(橋本さとし→鎮西八郎為朝とよばれ有名。)

みどころ・身内の分裂
 源氏は父の為義と息子の義朝とが別れて戦う。この前にも、父・為義は源氏の宝刀「友切」をめぐって親子喧嘩をしていた。平氏は統領の清盛と、叔父の忠正および弟頼盛とが、不穏な雰囲気で、ついには忠正は崇徳上皇がたに付く。
 このあたりの史実と虚構と事実と~いろいろ難しい。源氏は憎悪のかたまった父子喧嘩の結果とし、平氏は反目はもとからあったが、家名を残すための方法論として忠正離脱を解釈していた。
 残された記録も、文字にのこったものと、当人達が移ろいゆく情勢の中で瞬間瞬間に判断していった内情は、やはり闇の中に溶けているだろう。つまり、ようわからぬことが多い。

みどころ・後白河天皇と清盛
 松田と松山の両イケメンの勝負場面はなかなか充実していた。
 つまりは、後の後白河法皇と平清盛との確執で平安時代が終わり、鎌倉幕府に移っていく、その両雄の対決だった。
 で、よい場面であった(笑:書き記すまでもなく、おもしろかった)。

みどころ・西行
 西行がほんの少し出てきたが、もう少し狂言回しのように頻繁にでてもよかろう。

 また来週が楽しみだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年5月13日 (日)

NHK平清盛(19)鳥羽院の遺言:誰もが大将の悲劇

承前:NHK平清盛(18)誕生、後白河帝:青墓の宿
NHK大河ドラマ公式あらすじ

 優れたリーダーがいないと、だれもが「われこそは」と思う様になるものらしい。政治、経済、日常の世界でもよくあることだ。だれでもが大将になり得ると思い込ませる所に悲劇が生じる。実は義朝のこともその中に含まれる。リーダーこそなにかの成り行きで自然に成って、しかる後に自然にそのリーダーが秘められた力を発揮し始めるのが、一番波風が立たないと思った。リーダーを造るのに民意とか民主主義は似合わないな(taurus)。
 清盛の場合は、ドラマによると英傑・平忠盛の強い後継者指名によって成った所に強みがあった。これは長子相続だが、世界には末子相続もある(モンゴル)。

 今読み終わった大江戸の剣豪小説というか、江戸物では、徳川八代将軍吉宗が、なぜ御三家筆頭尾張をさしおいて、しかも紀州の部屋住み三男坊がなぜ? という陰謀・謀略を鮮やかに描いておった。後白河天皇が位に就いたのも、吉宗が紀州から出てきて将軍になったのも、「理」の狭間に、つまり隙間があって、そこに時空がぽとんと落ち込んだことで新たな展開になったと思うわけだ。

 さてそこで、ドラマは入り組んでいて登場人物の心理がいまひとつつかみきれない。それはあたりまえで、みなみながあらかじめプログラミングされているわけではないので、ちょっとした風のそよぎで心が変わり行動が一転する。鳥羽法皇、後白河天皇、崇徳上皇の三者の関わりは、だれがかんがえても理屈では理解できないところがっあって、そういう部分を信西入道が上手にさばいていった。

 信西(阿部サダヲ)、後白河天皇(松田翔太)、鳥羽法皇(三上博史)、崇徳上皇(井浦新)、源為義(小日向文世)、源義朝(玉木宏)、藤原忠実(國村隼)、忠通(堀部圭亮)、頼長(山本耕史)、平忠正(豊浦功補)、……。と男優ばかり上げてもうしわけないことだが、この人物達がちかごろめっぽう光ってきた。というか、のりにのって、そこに俳優がいるのではなくて、まさしく上皇や法皇や頼長が話しているという濃い雰囲気になってきた。
 大河ドラマの佳さだと思う。5月頃になるとなにか劇中で俳優に憑依があるのだろう。これは過去にもいろいろあったが。このたびも強烈に味わっている。
 で平清盛を上げなかったのは、悪い意味じゃなくて、この人は特別だから外した。

 信西は意外なほどにぴったり収まってきた。最初はふざけすぎに思えたが。
 源為義は、このいじいじした役柄は実に、本当に実に当たり役だと思ってみている。
 義朝の陰惨さはリアルすぎておとろしい。
 そうそう、藤家の父と兄弟間の確執は、まさにこうだったんだろうと、納得。

 というわけで、今夜は物語のスジとか、理屈とかは分からなかったが、俳優達の迫真には感動してあっというまに終わってしまった。また来週も楽しみだ。

| | コメント (0) | トラックバック (2)

2012年5月10日 (木)

洲本市立図書館

Bmuimg_7666
↑明治・大正レトロ街(旧・鐘紡洲本工場跡)

 この年(平成24、2012)の2月に四国を走って、淡路島経由で帰路についたとき、洲本のレンガ街が印象深かったので、写真を残しておく。
 中でも市立図書館が随分気に入ってしまって、しばらく中を歩いて座ってみた。人とは理屈だけでなく感性で動くところが多々あって、どこが、どうして良いのかとは、すぐには答えが出なくても、ただそこに居るだけで気持ちが良くなった。洲本市立図書館はそういう図書館だった。もちろん旅人の一過的印象と、そこに住んで居る人達の気持ちとが一緒になることはまれだが、「よい感じ、雰囲気」という印象はずっと消えないと思った。
 そしてまた図書館単体での優劣だけではなくて、その場の全体にも意味がある。私は以前から、明治や大正調の雰囲気が好きだったが、多分「煉瓦造り」に惹かれるのだろう。図書館は、そんな煉瓦造りの町並みの中に、ひっそりとあった。

洲本_7609
洲本_7611
洲本_7612
洲本_7613
洲本_7614
洲本_7616
洲本_7619
洲本_7620
洲本_7622
洲本_7624
洲本_7626
洲本_7627
洲本_7628
洲本_7630
洲本_7631
洲本_7634
洲本_7636
洲本_7637
洲本_7638
洲本_7639
洲本_7642
洲本_7643
洲本_7646
洲本_7648
洲本_7650
洲本_7651
洲本_7652
洲本_7653
洲本_7654
洲本_7655
洲本_7656
洲本_7659
洲本_7660
洲本_7664
洲本_7666
洲本_7667

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年5月 8日 (火)

小説木幡記:宇治川上流をながめて、旅のまとめ

↓朝霧橋から宇治川上流を眺めた。
Muimg_7748

 宇治神社参道前近くから架かる朝霧橋とは、中の島を挟んで、橘橋を渡り平等院に繋がっている。その橋の中程から上(かみ)を眺めて一枚撮した。宇治川といえば余の心の景色にはこの情景が刷り込まれている。高校生くらいから宇治に通い、20代はバイクで本当によく走った。当時は天瀬ダムにレストランもあって休憩出来たので、そのまま宇治橋に戻るか、あるいはずっと走って瀬田の琵琶湖に行った。
 そうやって「走る、走る、動く、動く」思い出が一杯なのに、結局心の中にはこの風景が「宇治」と言った途端に浮かんでくる。人間の記憶とは、本当に面白いものだ。

 ということで、旅のまとめと言っても、実は過日思い立ってカメラをもってぶらりと電車に乗って、宇治橋に立ってそれから蕎麦をたべて、景色のよい喫茶店から外を眺め、そいで中の島、塔の島をぶらぶらして対岸にわたり、平等院にお参りすることもなく、そのまま宇治橋にもどって、やはり京阪電車に乗って帰宅した。と、気楽な散歩のメモに過ぎない。

 さて、次は。
 実はこの間、黄金週間、銀色週間(黄金よりも身近にしたいのは銀色だな)に乱読し、乱歩し、乱写したのだが、どうにもまとめる気力が少なくて、こころはJython、Pythonのきらきらしいコーディング姿や、あるいは物語と歌の幻影にときどきはまり込み、かくいうMuBlogに手を付ける余力がわかぬ。

 しかし、次は。
 予定では、二月頃に歩いた四国や淡路島のこと。
 DCCのプログラミング世界どっぷりの、久しぶりのアルゴリズム構築情景。
 琵琶湖に浮かんだミシガンや、またしても近江八幡の近江牛。あるいは、
 嵯峨野、大覚寺、嵐山とくると、落柿舎や嵯峨小学校の情景~
 嵐電で四条大宮から乗車して嵐山に着いた時はなだそうそうだね。
 嵯峨小学校を写したときは足がそのままくずれおちそうになった。
 (ああ、余の人生が滅びていく、とな)
 ~
 なにからなにまでblogとはついに私的想念の掴みと描写につきるのう。
 再見

追伸
 ところで嵯峨野の竹藪道だが、なかなか良いものだな。以前、写真にもとってみたが、ただ空を眺めているだけで、竹の音が聞こえてきて、気持ちが良くなる。(ああ、幻聴だよ(笑))

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年5月 6日 (日)

NHK平清盛(18)誕生、後白河帝:青墓の宿

承前:NHK平清盛(17)平氏の棟梁:源平の違い、明暗
NHK大河ドラマ公式あらすじ

 後にこの時代の「大天狗」と言われるまでになった辣腕の後白河天皇が、複雑怪奇な皇位継承手続きを経て生まれた不思議さが今夜のドラマによく現れていた。当初は崇徳上皇の息子さんが挙がり、次の候補者として、雅仁親王(鳥羽天皇第四皇子:松田翔太)の息子さんが候補に挙がっていたが、信西入道のセリフにあったように、父親を差し置いて息子さんが帝位に就くのはおかしいと言うことで、いささか評判の悪かった雅仁親王が後白河天皇として即位された。雅仁親王は今様好き、つまり芸能好きで、今夜の紀行にでていたように美濃青墓宿(岐阜県大垣市)から芸能人を都に呼んで習っていたようだ。

↓岐阜県大垣市青墓町

大きな地図で見る

 今夜のドラマも面白かったので、それはそれとして(笑)~本筋とははずれ美濃青墓宿についてすこし考えて見た。NHKの紀行では「円興寺」の近辺に遊女達が住まいしていたと説明があった。傀儡子(くぐつし)達の宿というタイトルで興味深いサイトもあった。
 で、なぜこの青墓に興味があり、そしてまた上記サイト参照をしたかというと、以前『風神秘抄/荻原規子』というファンタジーに大いに感動したのだが、その中に青墓が印象深い所として描かれ、その地での登場人物達の経緯があって、ずっと記憶に残っていたわけだ。小説の中では妖艶と陰惨と神秘のまざった歴史ロマン地名としていまでも思い出すことがある。
 今夜のドラマでは、道道の人達、くぐつし、大道芸などがそれらしく描かれていて、これに幻術が加われば最高とも思ったが、まあ、よかろう。面白かった。

追伸
 最近のドラマ評で出色と思ったのは、近在の人の意見だが、「今年の大河は、清盛と時子という至極明るくまともなペアが手を取って、濃すぎる異様すぎる:鬼か蛇かとみまごう朝廷、貴族、源氏、平安時代という、魑魅魍魎に溢れた世界を切り開いていく、RPG」。と、そういう視点に見直せば、さらに興がつのる。

| | コメント (0) | トラックバック (3)

2012年4月29日 (日)

NHK平清盛(17)平氏の棟梁:源平の違い、明暗

承前:NHK平清盛(16)さらば父上:保元の乱前哨戦
NHK大河ドラマ公式あらすじ

 このドラマでは、清盛は実直な息子では無かったせいか、忠盛が棟梁として責任を負っていたことを初めて知って、面食らったようだ。各地に点在する多数の所領の監督や、(密)貿易のことや、種々の約束事が、新たに棟梁となった清盛の前に一度に押し寄せてきた。つまり、次々と判断を求められてきた。

 また時子さんも一族、家のことを一挙に束ねるのは難しく、象徴的に一族の宴の用意に失敗した。
 ところで。
 このことは今になっても、世をすねたような私にとっても、若い人達に厳しく伝えることのひとつに「宴の準備、運営」がある。数名から数十名の宴会などは、世間で働いていると時々その運用を幹事としてまかされることがある。これは場数を踏む必要もあるが、場所、日時、会費、料理、席次、挨拶や乾杯や〆の音頭とり、タイミングと、まるで結婚式場披露宴会場の裏方のような仕事が発生する。しかし、これを素人でもちゃんとできるようにしておかないと、折角の宴席がノリのない、間の空きすぎた、どうしょうもない時間の空費になってしまう。披露宴のようにプロの人達の企画や司会者を採用するわけでもないところに盲点があって誰かがしなければならない。そのときたとえ「たいこもち」と言われようと、人の集まる席をおもしろおかしく維持するには、若いうちから「練習」した方がよい、ということだ。
 失敗するとは、たとえば自分の好みだけでいくと、壮年者のあつまりに、甘ったるいカクテルばかり用意するようなものだ~。一家言もつベテランにスピーチする機会をはずしてしまうと、あとあとまで禍根が残る。だから、普通の仕事以上に幹事は重責なのだ。

 と、急に論調が変わったが(aries)。
 先妻と後妻と、その子ども達の扱いは、男子たるもの最初からわきまえておかないと、悲惨なイジメや子殺しに発展する危険性があるな。
 だから、今日の清盛の棟梁就任のことは、人は時には自分の立場を自覚し直す必要があるという教訓だな。

 いろいろなエピソードは、それぞれが面白かった。
 そして家族愛に包まれた平氏、骨肉相争う源氏。その対照がますます明確になってきた。鎌倉幕府は源頼朝が開いたが、あっというまに北条氏に乗っ取られてしまった。その遠因は、暗さにあったのかな(笑)。いやもちろん、平氏もやがて、西海に没するわけだが、なんとなく最後まで一家心中したような連帯感があったな。

追伸
 またまたこのドラマの視聴率問題が話題にあがっていた。
 で、毎回毎回楽しく、あっというまに45分が経ってしまう私には、「なぜ、ケチをつける」と、心底わからなくなる。表現や展開において近来まれな出色のドラマだと、私はこころから思っている。
 もう、現代の視聴者はよほどけばくてばかばかしいドラマにしないとついてこないのか。そしてまた日本史など聞いたこともない人が視聴者の大半なのだろうか。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

小説木幡記:宇治川の眺望(カフェ百盛)

↓カフェ百盛:宇治神社の近くから見た宇治川
Muimg_7743

Smuimg_7747 宇治橋上流の宇治川右岸で気に入っているのが、この喫茶店(カフェ百盛)からみた風景である。対岸は橘島で、左手が丁度平等院鳳凰堂になる。で、この撮影地点の上に宇治神社の参道があり、逆に川に向かっては朝霧橋がかかっている。
 このカフェが出来たのはいつか知らないが、少なくともカナン96という研究会で20世紀末に使っているから、それほど新しい店ではない。右写真は下から見上げたもので、相当巨大な一面遮光硝子がはめられていて、中は覗けないが、最初の写真はその硝子のそばで外の宇治川を写したものだ。
 おそらく宇治の眺望として出色の立ち位置だと、思う。

 カナン96とは1996年につくり21世紀初期まで続いた研究会(情報学)だった。まだ結成間もない頃にメンバー全員(10名ほどか)で宇治の天ヶ瀬ダムまで歩いて、そこでバーべーキューをした。その往路で立ち寄った記憶がある。そのころは天ヶ瀬ダム近くにレストランがあって、地ビールが飲めて庭ではバーベキューが出来たのだ。今は亡い。

 当日、桜の季節は終わっていた。カフェには三組ほど先客がいたが、硝子窓近くには席が残っていた。暑かったので冷製白玉ぜんざいをいただいた。20年近くたっているというのに、硝子は磨かれ、カフェ全体が清潔だった。なかなか気分がよかった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年4月26日 (木)

小説木幡記:宇治の蕎麦処(しゅばく)

 単純に宇治とか宇治橋だと、三重県のお伊勢さんに同一地名があって、混乱する。この宇治は京都府宇治市の宇治橋だ。その東詰、小道を少し川上に向かって歩くと左手に「しゅばく」という蕎麦処があって、そこの「辛みおろし蕎麦」をいただいた。値は丁度千金。開店(11:30)と同時に入ったが、すぐに満席になった。平日のことだ。

 お酒もそろっていて、酒好きの関東の諸友を案内したら、喜んでくれるだろう(笑)。
 関東風というか、現代江戸風なのは、暖簾を軽く押しのけ、着流しでざるを一枚、シュワシュワと喉に通し、ついでにヱビスビールをクククと飲んで、さっさと店を後にするよい男、ちゅう風情だな。関西の男だと、ちょっと映えない。

 さて。
 大体、料理におろしがそえてあると余はいたく感動する。特に辛みおろしの蕎麦はたまりませぬ。もう、それだけで極楽往生できる。
 と言うわけで、十割蕎麦とかいう意味や意義はあまり分からぬが、特に京都の冬の辛み蕎麦は、絶品だ。もちろん、このお店「しゅばく」でも堪能した。宇治はよいところだ。
1muimg_77322muimg_7740

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2012年4月24日 (火)

小説木幡記:宇治の橋守

Muimg_7730

 通圓(つうゑん)茶屋は随分歴史の古い店だ。口上(通圓の歴史)によるとすでに850年も昔の創業で、源三位頼政に仕えた古川右内という武将の庵だったらしいから、平安時代末期、源氏物語が完成後すでに160年も経った時代のことだ。これは江戸時代初期からみると、500年以上の歴史を持つことになる。遠い遠い大昔の話だ。

 余が宇治に通うようになったのは高校生の頃からだった。このころは三条京阪から宇治行き急行が直通始発になっていて、気分的に楽に行けた。現在は中書島で乗り換えて宇治線に乗車する。宇治には数十年住んでいるから、慣れてはいるが、面倒なことだ。ところで、高校生の頃には三条京阪駅に近鉄電車が乗り入れていて、それに乗れば奈良まで直行できた。だから、物知らずの余はなかなか宇治と奈良とを区別出来なかった。若いと言うことがどれほど愚かしいことかと、赤面する。

 で、宇治橋東詰の通圓茶屋だが、体験したのは現実世界ではなくて、五味康祐『柳生武芸帳』の中でのことだった。現実には表を通り過ぎても眼に入らず、物語の世界では幾度も出会っていたという不思議なお茶屋さんだった。五味康祐さんは芥川賞作家で、余が中高時代には一代の剣豪作家として有名な人だった。余はこの柳生武芸帳を大学浪人中に、気が鬱すると何度も精読していた。そして宇治が出てくると、物語世界の中でほっと一息ついたことを思い出す。映画は見たはずだが、原作の薫りがなかったせいか、思い出せない。

 この日、余は写真を撮ったあと、満足して茶屋の左にある小道に入っていった。今度行ったときには、茶店で茶団子など食べて一服しよう。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2012年4月23日 (月)

小説木幡記:擬宝珠(ぎぼし)と柳

↓宇治橋の擬宝珠と柳
Muimg_7728

 京阪電車の宇治駅に降り立つ人で、地元民以外なら、大抵は宇治橋の擬宝珠を眺める。というようりも、擬宝珠や柳を通して宇治川の上流を眼にする。目立つところだから、この配置をデザインした人は苦労したのではなかろうか。その甲斐あってか、余は必ずこの前で立ち止まる。いや、毎回高札を読むわけではなく、なんとなく柳を眺めてしまう。「……、っさ、宇治についたぞ」というかけ声をかける、そうしている。 
(参考までにMuBlogの2005年5月記事に参照を入れておく)

 さてここで行き先は三方に別れる。一番左だと源氏物語ミュージアムや、お茶や甘味の有名茶店にたどり着く。すぐ左というか真ん中だと、団子和菓子や蕎麦やイタリアンや、宇治神社、宇治上神社、桜名所(えしんいん)や、ずっと歩けば天ヶ瀬ダムまで通じている。そして右に宇治橋を渡れば、平等院参道の店店や、宇治橋通りの商店街にたどりつく。と、そこかしこにお茶で人々を惹きつける沢山のお店がある(たとえば、中村藤吉本店)。

 さて。この日の余はどちらへ行ったか。
 その日の気分で、どちらへ行っても、また元に戻れるのが宇治のおもしろさだな。これは、嵐山・嵯峨野とも似通っておる。このおもしろさは、一度考えて見るのもよかろう。おそらく、歴史的に、誰かが周遊の道を付けたのだと、感じておる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

«NHK平清盛(16)さらば父上:保元の乱前哨戦